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東京地方裁判所 昭和51年(特わ)1835号 判決

《目次》

主文

理由

(本判決中で使用する略称)

(認定事実)

第一 全日空の概要及び被告人らの経歴

一 全日空の概要

二 被告人らの経歴

第二 全日空における国内幹線用大型ジェット旅客機の機種選定経過の概要及びL―一〇一一の購入契約(ただし、第四次契約まで)の状況

一 全日空における国内幹線用大型ジェット旅客機の機種選定経過の概要

二 全日空におけるL―一〇一一の購入契約(ただし、第四次契約まで)の状況

第三 被告人若狹及び同藤原の一億一、二〇〇万円の受領に関する外為法違反の事実(被告人若狹に対する昭和五一年八月一八日付、被告人藤原に対する同年七月二八日付各起訴状記載の各公訴事実)

一 本件一億一、二〇〇万円の受領に至る経緯

1 第一次契約の六機分に対する九、〇〇〇万円の受領

2 共謀成立の経緯

3 ロッキード社の四〇万ドル相当の日本円の調達と日本への搬入

二 罪となるべき事実

第四 被告人若狹、同澤、同植木及び同青木の二、〇七二万円の受領に関する外為法連反の事実(被告人若狹に対する昭和五一年七月二八日付起訴状記載の公訴事実一並びに被告人澤、同植木及び同青木に対する同月一三日付起訴状記載の公訴事実一)

一 本件二、〇七二万円の受領に至る経緯

1 ロッキード社のデモンストレーション飛行計画と全日空の協力

2 共謀成立の経緯

3 デモフライト契約とデモフライトの実施

4 ロッキード社の二、〇七二万円の調達と日本への搬入

二 罪となるべき事実

第五 被告人若狹、同澤、同植木及び同青木の三、〇三四万五、〇〇〇円の受領に関する外為法違反の事実(被告人若狹に対する昭和五一年七月二八日付起訴状記載の公訴事実二並びに被告人澤、同植木及び同青木に対する同月一三日付起訴状記載の公訴事実二)

一 本件三、〇三四万五、〇〇〇円の受領に至る経緯

1 一五、一六号機の確定購入契約(第四次契約)の締結

2 共謀成立の経緯

3 ロッキード社の三、〇三四万五、〇〇〇円の調達と日本への搬入

二 罪となるべき事実

第六 被告人若狹の議院証言法違反の事実(被告人若狹に対する昭和五一年九月三〇日付起訴状記載の公訴事実)

一 前提事実

1 三井物産のDC―一〇発注に関連する偽証関係

(一) 三井物産が全日空社長大庭哲夫の要請によりダグラス社とDC―一〇の購入契約を締結した経緯

(二) 被告人若狹が右(一)の事実の概要を了知したこと

(1) 昭和四五年六月初めころの渡辺尚次の報告

(2) 昭和四六年末ころの右渡辺の報告

2 全日空の簿外資金に関連する偽証関係

(一) 被告人若狹が藤原亨一から第三記載の一億一、二〇〇万円の受領及び保管について報告を受けたこと

(二) 被告人若狹が澤雄次から第四記載の二、〇七二万円の受領及び保管について報告を受けたこと

(三) 被告人若狹が右澤から第五記載の三、〇三四万五、〇〇〇円の受領及び保管について報告を受けたこと

二 罪となるべき事実

第七 被告人渡辺の議院証言法違反の事実(被告人渡辺に対する昭和五一年七月三一日付起訴状記載の公訴事実)

一 前提事実

1 被告人渡辺が、前記澤から第四記載の二、〇七二万円の受領及び保管について報告を受けたこと

2 被告人渡辺が右澤から第五記載の三、〇三四万五、〇〇〇円の受領及び保管について報告を受けたこと

二 罪となるべき事実

(証拠の標目)

(法令の適用)

(争点に対する判断)

第一 被告人らの検察官に対する各供述調書の信用性等について

第二 判示第三の事実について

一 弁護人の主張

二 当裁判所の判断

1 証拠上明らかで被告人両名及びその弁護人らも特に争つていない事実

2 被告人両名の各検察官調書の内容と法廷における弁解の各概要

3 被告人両名の法廷供述等、右両名の各検察官調書を除くその余の証拠の検討

(一) 本件金員受領に関する被告人両名の共謀について

(二) 本件金員の支払主体に関する被告人両名の認識について

4 被告人両名の各検察官調書の検討

5 右1ないし4のまとめ

6 その余の問題点の検討

(一) 昭和四七年一〇月二八日の被告人両名の共謀について

(二) 被告人両名の昭和四九年初めの判示共謀について

(三) 日商岩井からの薄外資金の受領について

(四) 外為法違反の認識について

第三 判示第四の事実について

一 弁護人の主張

二 当裁判所の判断

1 証拠上明らかで被告人四名及びその弁護人らも特に争つていない事実

2 被告人四名の各検察官調書の内容と法廷における弁解の各概要

3 被告人四名の法廷供述等、右四名の各検察官調書を除くその余の証拠の検討

(一) 被告人青木の共謀について

(二) 被告人若狹の共謀について

(三) 本件金員は、エリオットが先行的にキャッシュで支払う旨申し出たものであるとの主張について

4 被告人四名の各検察官調書の検討

(一) 被告人澤の検察官調書について

(二) 被告人若狹の検察官調書について

(三) 被告人植木の検察官調書について

(四) 被告人青木の検察官調書について

5 右1ないし4のまとめ

6 その余の弁護人の主張について

第四 判示第五の事実について

一 弁護人の主張

二 当裁判所の判断

1 証拠上明らかで被告人四名及びその弁護人らも特に争つていない(ただし、受領した金員の額の点は除く)事実

2 被告人四名の各検察官調書の内容と法廷における弁解の各概要

3 被告人四名の法廷供述等、右四名の各検察官調書を除くその余の証拠の検討

4 被告人四名の各検察官調書の検討

(一) 被告人澤の検察官調書について

(二) 被告人若狹の検察官調書について

(三) 被告人植木の検察官調書について

(四) 被告人青木の検察官調書について

5 右1ないし4のまとめ

6 その余の問題点の検討

(一) 本件金員の提供に関するエリオットの申出について

(二) 被告人青木の共謀について

(三) 本件金員の支払主体に関する被告人澤及び同植木の認識について(ただし、判示第四、第五の事実に共通)

第五 外為法違反の可罰性について

第六 判示第六の事実について

一 昭和五一年二月一六日の衆議院予算委員会における「大庭社長が在任中DC―一〇につき何らかの契約をする、例えばオプション契約をするとか、製造番号を押さえるとか、何らそういう疑わしい事実はなかつたと確信している。」旨及び同年三月一日の同委員会における「大庭社長が在任中DC―一〇につき何らかの、例えばオプション契約をしたということは全く了解できない。」旨の各陳述について

1 三井物産が大庭の要請によりダグラス社とDC―一〇の購入契約を締結した経緯について

2 被告人若狹の認識について

(一) 昭和四五年六月初めころ、被告人若狹が渡辺尚次から「大庭社長との合意により、三井物産が全日空のためダグラス社にDC―一〇を発注した。」旨の報告を受けた事実について

(二) 昭和四五年七月ころの被告人若狹と三井物産社長若杉との会談について

(三) 昭和四六年末ころ、被告人若狭が渡辺尚次から「昭和四五年三月ころ、大庭社長、三井物産若杉社長及びダグラス社マックゴーエン副社長の三者合意により、三井物産が全日空のためダグラス社との間にDC―一〇の購入契約を締結した。」旨の報告を受けた事実について

(四) 昭和四五年五月二九日の被告人若狹と大庭とのいわゆる事務引継ぎについて

4 各衆議院予算委員会における被告人若狹の陳述についての具体的検討

(一) 昭和五一年二月一六日の衆議院予算委員会における「大庭社長が在任中DC―一〇につき何らかの契約をする、例えばオプション契約をするとか、製造番号を押さえるとか、何らそういう疑わしい事実はなかつたと確信している。」旨の陳述について

(二) 昭和五一年三月一日の衆議院予算委員会における「大庭社長が在任中DC―一〇につき何らかの、例えばオプション契約をしたということは全く了解できない。」旨の陳述について

二 昭和五一年二月一六日の衆議院予算委員会における「三井物産がダグラス社に対し全日空のためにDC―一〇を仮発注したと思つていないし、仮に仮発注の事実があつたとしても、それは全く全日空に無関係であつたと考えている。」旨の陳述について

三 昭和五一年三月一日の衆議院予算委員会における「当時DC―一〇は設計段階であつたので、大庭社長がDC―一〇をオプションするということはあり得るはずもなく、DC―一〇を選定する考えを持つているとは想像もできなかつた。」旨の陳述について

四 昭和五一年二月一六日の衆議院予算委員会における「全日空がロッキード社から正式な契約によらないで金銭を受領したことは絶対にない。同社から帳簿外の金銭を授受したことは一切ない。」旨の陳述について

五 本件告発の及ぶ範囲

第七 判示第七の事実について

一 弁護人の主張と当裁判所の判断

二 公訴権濫用の主張について

第八 国政調査権行使の適法性について(量刑の事情)

別紙(訴訟費用負担表)

主文

1  被告人若狹得治を懲役三年に処する。

この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

2  被告人渡辺尚次を懲役一年二月に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

3  被告人澤雄次を懲役一〇月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

4  被告人藤原亨一を懲役一〇月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

5  被告人植木忠夫を懲役六月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

6  被告人青木久賴を懲役六月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

7  被告人らに対し、別紙訴訟費用負担表記載のとおり、訴訟費用を負担させる。

理由

(本判決中で使用する略称)

外為法 外国為替及び外国貿易管理法

(ただし、昭和五四年法律六五号による改正前のもの)

議院証言法  議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律

全日空  全日本空輸株式会社

日航  日本航空株式会社

ロッキード社 ロッキード・エアクラフト・コーポレーション

(Lockheed Aircraft Corporation)

ボーイング社 ザ・ボーイング・カンパニー

(The Boeing Company)

ダグラス社  マクダネル・ダグラス・コーポレーション

(McDonnell Douglas Corporation)

丸紅  丸紅株式会社

三井物産  三井物産株式会社

日商岩井  日商岩井株式会社

コーチャン  アーチボルド・カール・コーチャン

(Archibold Carl Kotchian)

エリォット  アルバート・ハイラム・エリオット

(Albert Hiram Elliott)

クラッター  ジョン・ウイリアム・クラッター

(John William Clutter)

L-一〇一一 L-一〇一一型航空機

DC-一〇  DC-一〇-一〇型航空機

(認定事実)

第一  全日空の概要及び被告人らの経歴

一  全日空の概要

全日空は、昭和二七年一二月二七日資本金一億五、〇〇〇万円で設立された日本ヘリコプター輸送株式会社(以下、日本ヘリコプターという。)が、同三二年一二月一日商号を全日本空輸株式会社と変更した会社で、同三三年二月一〇日極東航空株式会社を、同三八年一一月一日藤田航空株式会社をそれぞれ吸収合併したが、同五〇年五月株式の額面変更のため、同名の全日本空輸株式会社に吸収合併された。本社は、同四四年九月一〇日以前は東京都港区新橋一丁目一八番一号飛行館内にあつたが、その後は同都千代田区霞が関三丁目二番五号霞が関ビルの一四階に移転し、同五〇年一月一五日以降は同ビル二七・二八階に置いている。資本金は、昭和三八年一月当時四六億五、六〇〇万円であつたが、増資により同四四年九月九三億円、同四六年九月二〇〇億円、同五一年三月二七九億一七五万円となつた。営業目的は、定期航空運送事業、不定期航空運送事業及び航空機使用事業等である。

二  被告人らの経歴

1被告人若狹得治(以下、被告人若狹という。)は、昭和一三年四月逓信省に入省し、その後官制改正により運輸事務官となり、以来運輸省大臣官房文書課長、海上保安庁灯台部長、海運局次長、船員局長、海運局長、運輸事務次官等を歴任して同四二年三月退官し、その後日本海事財団の相談役等を経て、同四四年四月全日空に顧問として入社し、同年五月代表取締役副社長となり、同四五年六月一日代表取締役社長に就任して同社の業務全般を掌理していたものである。(なお、同五一年一二月取締役会長となつた。)

2被告人渡辺尚次(以下、被告人渡辺という。)は、昭和六年三月逓信省簡易保険局に入り、同一〇年五月逓信官吏練習所を卒業後逓信省航空局等に勤務し、同二〇年一二月退官し、その後社団法人興民社(終戦により失職した民間航空事業従業者のための職業指導を目的とした法人)の総務部長となつたが、同二七年日本ヘリコプターの設立に参画し、同社設立とともに総務部長となり、同三二年一二月同社が全日空と商号を変更したのちも総務部長を勤め、同三七年五月取締役、同三九年五月常務取締役、同四二年九月専務取締役と順次昇格し、同四六年五月取締役副社長、同四七年五月代表取締役副社長となつて社長を補佐していたものである。(なお、同五一年一二月取締役副社長となつた。)

3被告人澤雄次(以下、被告人澤という。)は、昭和一七年一月逓信省に入省し、その後海軍司政官となつたが、同二一年七月復員して運輸事務官に復帰し、以来運輸省航空局監理部国際課長、海運局次長、大臣官房長、航空局長、海運局長等を歴任して同四五年六月退官し、その後日本開発銀行理事を経て、同四八年五月全日空に入社し、同月経理部、調達施設部担当の専務取締役に選任され、財務、会計等を掌理していたものである。(なお、同五一年一二月空港担当の取締役となつた。)

4被告人藤原亨一(以下、被告人藤原という。)は、昭和二八年一一月日本ヘリコプターに入社し、同社が全日空に商号変更後、東京営業所長、航務本部管理室長等を経て、同四四年一〇月本社企画室長に就任し、同四七年六月右企画室が組織の変更により経営管理室となつたのに伴い同室長となり、同四八年五月取締役に選任され、取締役兼経営管理室長となつて同社各部門の統合、調整及び経営計画の設定等を担当していたものである。(なお、同五一年一二月取締役を辞任し、関連事業担当の常勤顧問となつた。)

5被告人植木忠夫(以下、被告人植木という。)は、昭和二九年一〇月極東航空株式会社に入社し、同社が同三三年二月全日空に吸収合併されたのち、同社大阪営業所、本社定期営業部業務課勤務を経て、同四四年大阪空港支店管理室長となり、次いで同四六年六月本社調達施設部長に就任して航空機、資材の調達等を担当していたものである。(なお、同五〇年六月営業本部業務部長兼国際部長となつた。)

6被告人青木久賴(以下、被告人青木という。)は、昭和二九年四月日本ヘリコプターに入社し、同社の商号が全日空と変更されたのち、総務部総務課長、補給部調達課長、整備本部管理室長を経て、同四六年六月経理部長に就任し、財務、会計等を担当していたものである。(なお、同五一年一一月全日空商事株式会社常勤顧問となつた。)

第二  全日空における国内幹線用大型ジェット旅客機の機種選定経過の概要及びL-一〇一一の購入契約(ただし、第四次契約まで)の状況

一  全日空における国内幹線用大型ジェット旅客機の機種選定経過の概要

1我が国においては、昭和四三年ころから国内線の航空旅客需要が急激に増加し、この傾向はその後も続くものと予想されたことから、全日空においてはこれに対処して輸送力を増強するため、同四四年ころから旅客機の大型化、ジェット化を企図し、その検討を開始したが、当時次期国内線用大型ジェット旅客機としては、ボーイング社製B-七四七SR型機、ダグラス社製DC-一〇、ロッキード社(本社は、アメリカ合衆国カリフォルニア州バーバンクにあり、各種航空機、字宙船、エレクトロニクス、ミサイル等の設計、開発を主たる営業目的とする。)製L-一〇一一の三機種が有力候補に挙げられていたところ、ボーイング社及びその代理店である日商岩井(同四三年一〇月に日商株式会社と岩井産業株式会社が合併して商号を変更した。)、ダグラス社及びその代理店である三井物産、ロッキード社及びその代理店である丸紅(当時は丸紅飯田株式会社と称していたが、同四七年一月に商号を変更した。)によつてそれぞれ右各大型機の売り込み競争が行われた。

2昭和四五年一月、全日空は、同四七年四月に国内幹線に大型ジェット機を投入することを目標に、社長の諮問機関として新機種選定準備委員会を発足させ、右三機種を主たる対象にして同四五年三月末までに機種を決定するとのスケジュールで選定作業に着手したものの、右期限を経過してもなお決定をみるに至らないまま、同年六月一日大庭哲夫社長が退任し、そのあとを継いで被告人若狹が社長に就任して選定作業を継続したが、同四六年に入つていわゆるばんだい号事故(同年七月三日)及び雫石事故(同月三〇日)の航空機事故が相次いで発生したこと等から右選定作業は更に遅れ、かくするうち、同四七年七月一日「航空企業の運営体制について」の運輸大臣通達が発せられ、その中において国内幹線への大型機の投入については同四九年度以降認めるとの方針が示されるに至つた。

かくして、全日空は、右通達の方針に従い同四九年度から大型機を投入することとし、その検討を進めた結果、新機種選定準備委員会は、同四七年八月三〇日、右候補三機種につきこれを一機種に絞るに足る優劣はつけ難い旨社長である被告人若狹に答申し、これにより機種決定は事実上被告人若狹に一任されることになり、これを受けて被告人若狹は、社内各部門の意見を聴いたうえ、同年一〇月二八日、幹部役員会においてL-一〇一一の採用を内定し、同月三〇日、取締役会は正式にL-一〇一一の採用を決定した。

二  全日空におけるL-一〇一一の購入契約(ただし、第四次契約まで)の状況

右の経過から、全日空は、昭和四七年一一月二日、ロッキード社に対してL-一〇一一を六機確定発注し、一五機をオプションする旨のレター・オブ・インテントを発したうえ、同四八年一月一二日、右レター・オブ・インテントに基づき、同社との間に六機(一号機ないし六号機)の購入契約を締結(第一次契約)するとともに、これに付随して一五機(七号機ないし二一号機)のオプション契約を締結し、更に、同年五月三一日に四機(七号機ないし一〇号機)について(第二次契約)、同年九月二六日に四機(一一号機ないし一四号機)について(第三次契約)、同四九年七月一八日に二機(一五、一六号機)について(第四次契約)それぞれオプション権を行使して確定購入契約を締結した(右一号機ないし一六号機は、それぞれ代金完済のうえ、同四八年一二月から同五〇年一二月までの間に全日空に引渡された。)。

第三  被告人若狹及び同藤原の一億一、二〇〇万円の受領に関する外為法違反の事実(被告人若狹に対する昭和五一年八月一八日付、被告人藤原に対する同年七月二八日付各起訴状記載の各公訴事実)

一  本件一億一、二〇〇万円の受領に至る経緯

1第一次契約の六機分に対する九、〇〇〇万円の受領

(一) 前記のとおり、全日空は、昭和四七年一〇月二八日の幹部役員会において次期国内幹線用大型ジェット機としてロッキード社のL-一〇一一の採用を内定したが(なお、その段階で当初六機を確定発注し、一五機をオプションすることが予定されていた。)、被告人若狹は、右L-一〇一一の採用にあたり全日空の簿外資金を捻出しようと企図し、同日の右役員会終了後、社長室に被告人藤原を呼び、同被告人とも相談のうえ、確定発注分六機についてロッキード社から謝礼として一機当たり五万ドル相当の日本円を簿外で支払を受けること及び右要求につきロッキード社の販売代理店である丸紅の担当者と交渉することを決め、同被告人にその交渉に当たるよう指示し、なお、併せて、L-一〇一一の採用に伴うロッキード社による運航整備体制の援助を同社に要請すること及び右採用決定を機に、いわゆる航空関係議員等六名の政治家への金員供与を伴う挨拶を丸紅に依頼することの二点についても、丸紅の担当者と折衝するよう被告人藤原に指示し、他方、L-一〇一一の売り込みに丸紅の担当者としてその衝に当たつた同社常務取締役大久保利春(以下、大久保という。)に電話でL-一〇一一の採用内定を伝えるとともに、契約の最終の詰めについて被告人藤原と打合せて貰いたい旨連絡した。

(二) 翌二九日夜、被告人藤原は、大久保の意向を受けた丸紅輸送機械部副部長松井直(以下、松井という。)と自宅付近の旅館で会い、右三点の要求を伝え、全日空の取締役会が開かれる翌三〇日までに回答を得たい旨要請したところ、松井は、その場から右要求を電話で自宅にいた大久保に伝えた。

そこで、大久保は、当時L-一〇一一の売り込みのため来日し当夜ホテル・オークラに宿泊していたロッキード社社長コーチャンと同ホテルで会い、全日空にL-一〇一一を採用させるため必要であるとして右の運航整備体制の援助を行ない、確定発注六機分の簿外謝礼金及び政治家への供与金員をロッキード社が提供するよう折衝した結果、コーチャンは、右要求を全部受け入れることを了承し、右六機分合計三〇万ドル相当の日本円九、〇〇〇万円については、これを一週間ぐらいの間に丸紅に届けることを約した。

(三) 大久保がコーチャンと折衝している間、右旅館で松井とともに回答を待つていた被告人藤原は、電話で大久保と連絡をとつていた松井から右三点の要求が全部応諾されたことを聞き、翌三〇日朝出社して被告人若狹にその旨報告した。そして、前記のとおり、同日開かれた取締役会において、全日空は、L-一〇一一の採用を正式に決定し、同年一一月二日、ロッキード社に対し、六機を確定発注し一五機をオプションする旨のレター・オブ・インテントを発した。

(四) 一方、同月六日、コーチャンの指示を受けたクラッター(ロッキード社の関連会社であるロッキード・エアクラフト(アジア)リミテッドの社長兼日本における代表者)から右確定発注分六機に対する日本円九、〇〇〇万円(ただし、日本の銀行振出の自己宛小切手金額合計五、一〇〇万円を含む。)が丸紅東京支店で大久保に手交され、大久保は、九〇ユニットを受領した旨の領収書に署名してクラッターに交付した。そして、そのころ被告人藤原は、銀座の料理店「あか羽」で右金員を松井から受領し、そのころ被告人若狹に右金員を受領したことを報告し、同被告人の指示により、右金員は全日空の正規の経理に載せず、いわゆる簿外資金として保管した。

2共謀成立の経緯

前記のとおり、全日空は、ロッキード社との間に、昭和四八年一月一二日の第一次契約に続き同年五月三一日七号機ないし一〇号機につき(第二次契約)、次いで同年九月二六日一一号機ないし一四号機につき(第三次契約)それぞれオプション権を行使して確定購入契約を締結したが、被告人藤原は、右第二、第三次契約の合計八機についても第一次契約の六機についてと同様にロッキード社から一機当たり五万ドル相当の日本円が支払われるものと期待していたところ、何らの連絡もなかつたため、同四九年初め、大久保に電話で右八機分に対する金員の支払に関しコーチャンへの問合せ方を依頼する一方、そのころ全日空社長室で被告人若狹にその旨伝え、右八機分についても前回の六機分と同様ロッキード社から簿外で金員を受領することについて同被告人の了承を得、以上の経過で被告人両名の間に共謀が成立した。

一方、大久保は、そのころ国際電話でコーチャンに右依頼の趣旨を伝えた。

3ロッキード社の四〇万ドル相当の日本円の調達と日本への搬入

(一) 大久保から連絡を受けたコーチャンは、一機当たり五万ドル相当の金員の支払約束をしたのは当初の六機分のみであると思つたが、全日空から継続して確定購入契約を得るには全日空の期待に応ずるのが得策と考え、クラッターに対しその支払方を指示した。

(二) ロッキード社は、同社の関連会社であるロッキード・エアクラフト・インターナショナル・A・G(以下「LAIAG」という。)に四〇万ドル相当の日本円の調達と日本への送金を指示し、クラッターは、東京において、LAIAGから依頼を受けた外国貨幣専門会社ロスアンゼルス・ディーク社を通じて、昭和四九年春ころまでに数回にわたり日本円で右金員を受け取り、これをロッキード社東京事務所に保管し、同年七月二九日、大手町のパレスホテルで大久保及び被告人藤原と会い、同被告人に四〇万ドル相当の日本円一億一、二〇〇万円を近いうちに渡す旨告げた。

二  罪となるべき事実

被告人若狹及び同藤原は、いずれも本邦に居住するものであるところ、前記共謀に基づき、全日空の簿外資金とするため、法定の除外事由がないのに、前記のとおり、さきに全日空がオプションした一五機のL―一〇一一のうち八機についてロッキード社との間に第二次、第三次の確定購入契約を締結した謝礼として、昭和四九年八月二日、東京都中央区銀座七丁目一八番一二号料理店「あか羽」前路上において、クラッターから非居住者であるロッキード社のための支払である現金一億一、二〇〇万円を受領し、もつて非居住者のためにする居住者に対する支払の受領をしたものである。

第四  被告人若狹、同澤、同植木及び同青木の二、〇七二万円の受領に関する外為法違反の事実(被告人若狹に対する昭和五一年七月二八日付起訴状記載の公訴事実一並びに被告人澤、同植木及び同青木に対する同月一三日付起訴状記載の公訴事実一)

一  本件二、〇七二万円の受領に至る経緯

1ロッキード社のデモンストレーション飛行計画と全日空の協力

(一) ロッキード社は、昭和四九年初めころ、オーストラリアの各航空会社に対するL―一〇一一の販売キャンペーンとして、現地でのデモンストレーション飛行(以下、デモフライトという。)を企画し、全日空が購入し同年五月に日本へ輸送する予定になつていたL―一〇一一の五号機を、日本へ輸送する途中オーストラリアへ立寄らせ、同機を使用してデモフライトを実施しようと計画し、そのために要する費用をロッキード社が負担するという条件で、エリオット(ロッキード社の一部門であるロッキード・カリフォルニアカンパニーの全日空担当者)に全日空と交渉させることとした。

(二) エリオットは、同年二月末来日し、同年三月初めころ、被告人植木及び同被告人の部下である全日空調達施設部調達課員籔下勝(以下、籔下という。)と面談し、右デモフライトのため前記五号機を使用させて貰いたい旨要請し、費用はロッキード社が負担することを申し入れ、全日空は、協議の結果、これに協力することとした。

(三) 被告人植木は、デモフライトの実施に関し、籔下をして関係各部門との調整に当たらせ、運航形態、日程等を検討させた結果、同年三月一一日の各関係部門の担当者会議において、ロッキード社の意向に応じ、デモフライトの日程を同年五月二三日から二六日までの四日間とすることとし(なお、のちに後記のとおり変更されて実施された。)全日空の責任のもとに有償で運航することとした。

被告人植木は、籔下をしてデモフライトに関しロッキード社に請求すべき費用を機体の減価償却ベースで計算させた結果、その額は六万ドルないし八万ドルとなつたので、同年四月上旬ころ、これを被告人澤に報告し、同被告人の了承を得た。

2共謀成立の経緯

(一) 被告人青木は、昭和四八年暮ころ、被告人澤から、役員が自由に使用し得る機密費を簿外で作れないかと言われていたところ、デモフライトの実施計画を知り、同四九年四月上旬ころ、被告人澤に、デモフライト契約によりロッキード社から支払われる費用を簿外資金とすることを進言した。右進言を受けた被告人澤は、同年四月一〇日ころ、被告人若狹に「青木からサジェスチョンもあつたので、オーストラリア・デモフライトの費用約二、〇〇〇万円を簿外に落とそうと思うが、どうか。」と相談し、被告人若狹はこれを了承した。

(二) 被告人澤は、そのころ全日空専務室において、被告人植木、同青木の両名に対し、デモフライトの費用を簿外で受領することにつき被告人若狹の了承を得たことを伝え、被告人植木に対してはデモフライトの費用をエリオットから日本円の現金で受領して被告人青木に渡すように指示し、被告人青木に対してはその保管方を指示し、被告人植木、同青木は、いずれもこれを承諾した。

(三) 被告人植木は、同年四月一二日から一五日ころの間に、全日空調達施設部の部屋で籔下を通訳としてエリオットと交渉した結果、全日空はロッキード社からデモフライトの費用として七万四、〇〇〇ドルを受領することとなつたが、その際、被告人植木は、エリオットに「日本の規則の関係で有償の契約にできないので、この金は別途他の方法で現金で貰いたい。」旨伝え、エリオットはこれを日本円による現金支払の要求と認識したうえ了承した。

(四) 被告人植木は、直ちに被告人澤に「七万四、〇〇〇ドルを日本円で貰うことにした。」旨報告し、同被告人は、そのころ被告人青木に、被告人植木の右報告内容を伝えて入金があつたときは保管するように再度指示するとともに、社長室で被告人若狹に「デモフライトの件では約二、〇〇〇万円を貰うようにロッキード社の了解をとつたので、これを簿外資金にする。」旨報告して同被告人の了承を得、以上の経過で被告人四名の間に順次共謀が成立した。

3デモフライト契約とデモフライトの実施

右の経緯から、デモフライト費用を簿外で受領することとした関係上、全日空は、昭和四九年五月一五日付でロッキード社との間にデモフライトを無償で実施する旨の契約を締結し、同年四月上旬パームデールにおいて全日空に引渡された五号機は、同年五月中旬同所を出発し、同月二一日から二四日までオーストラリアでデモフライトを実施し、同月二五日東京に到着した。

4ロッキード社の二、〇七二万円の調達と日本への搬入

ロッキード社は、LAIAGに七万四、〇〇〇ドル相当の日本円の調達と日本への送金を指示し、LAIAGは、昭和四九年六月一四日ころ、ロスアンゼルス・ディーク社に対し、東京のパレスホテルに滞在中のエリオットに七万四、〇〇〇ドル相当の日本円二、〇七二万円を送金するように依頼し、エリオットは、そのころ二、〇七二万円を受領した。

二  罪となるべき事実

被告人若狹、同澤、同植木及び同青木は、いずれも本邦に居住するものであるところ、前記共謀に基づき、全日空の簿外資金とするため、法定の除外事由がないのに、前記のとおり全日空がロッキード社から購入し、昭和四九年四月アメリカ合衆国カリフォルニア州パームデールにおいて引渡しを受けたL―一〇一一の五号機を日本へ輸送するに際し、ロッキード社の要請により、輸送途中の同年五月同社のオーストラリアにおける販売キャンペーンのためのデモフライトに右五号機を使用させた費用として、同年六月中旬ころ、全日空本社において、エリオットから非居住者であるロッキード社のための支払である現金二、〇七二万円を受領し、もつて非居住者のためにする居住者に対する支払の受領をしたものである。

第五  被告人若狹、同澤、同植木及び同青木の三、〇三四万五、〇〇〇円の受領に関する外為法違反の事実(被告人若狹に対する昭和五一年七月二八日付起訴状記載の公訴事実二並びに被告人澤、同植木及び同青木に対する同月一三日付起訴状記載の公訴事実二)

一  本件三、〇三四万五、〇〇〇円の受領に至る経緯

1一五、一六号機の確定購入契約(第四次契約)の締結

(一) 全日空幹部役員会は、昭和四九年五月八日ころ、経営管理室提案の昭和五一年度用機材計画を検討したが、同四八年末ころのいわゆるオイルショック以降の航空旅客需要についての的確な予測が立てられず、かつ、騒音問題のため大阪空港への大型ジェット機の乗り入れの見通しがつかなかつたこと等から、機材計画を確定することができず、その結果、全日空は、ロッキード社にオプションしていたL―一〇一一の一五号機ないし二一号機のオプション期限を同四九年五月三一日から同年八月三一日まで延期することとし、同年五月下旬ころ、ロッキード社の了解を得た。

(二) ロッキード社は、同年六月初旬、財政危機を乗り切るため、いわゆるコングロマリットであるテキストロン社から一億ドルの投資を受けることとしたが、同年一一月末日までにL―一〇一一の確定購入契約を一八〇機とすること(当時確定契約機数一三五機、オプション機六五機)が右投資実施の条件の一つとされていた。被告人植木は、同年六月一〇日ころ、エリオットから右の状況を説明され、オプション期限を延長した右七機のうち、少なくとも三機について六月中に確定購入契約を締結して貰いたい旨協力方を要請された。

(三) 全日空経営管理室は、ロッキード社の右要請を検討した結果、パシフィック・サウスウエスト・エアラインズ(以下、「P・S・A」という。)からリースしているボーイング七二七型航空機二機のリース期限が昭和五〇年一二月と同五一年一月にそれぞれ到来するが、これを更新しなければL―一〇一一の二機の購入が可能であると判断した。その報告を受けた幹部役員会は、昭和四九年六月二〇日ころ、P・S・Aからリースしている右二機を期限に返却し、オプション期限を延長していたL―一〇一一の右七機のうち二機(一五、一六号機)を購入することを決定した。

(四) そこで、被告人植木らは、同年七月一〇日ころからエリオットと契約条件について交渉し、全日空側は、昭和五〇年引渡機体の基本価格は同五一年引渡機体のそれに比し、一機当たり五〇万ドル以上安くなるというエスカレーション・メリットの保証(すなわち、延長されたオプション期限である同四九年八月末に確定購入契約をした場合その機体引渡時期は同五一年となるが、右期限を早めて確定購入契約をした場合はその機体引渡時期も早まり同五〇年となるという関係にあつたところ、同五一年引渡機体の基本価格が同五〇年引渡機体のそれに比し、五〇万ドル未満しか上昇しなかつた場合は、五〇万ドルとの差額をロッキード社において支払うという保証)及び第一回の代金支払期日を通例より遅らせ同四九年八月とすること等の条件を提示し、ロッキード社は、これらの条件に同意した。そこで、全日空は、同年七月一七日ころ社内禀議を経て、同月一八日、ロッキード社との間にL―一〇一一の一五、一六号機の確定購入契約を締結した。

2共謀成立の経緯

(一) 被告人若狹は、ロッキード社の前記要請に応え、期限より早く一五、一六号機の確定購入契約を締結する謝礼として、同社から簿外で日本円を提供させようと企図し、昭和四九年七月上旬ころ、社長室で被告人澤に「一五、一六号機をファーム・アップするについて、なんとかうまいことが考えられないか。」ともちかけた。被告人澤は被告人若狹の意図を了解し、そのころ被告人植木から一五、一六号機の確定購入契約に関する契約条件について相談を受けた際、一〇万ドルの謝礼をロッキード社に負担させ、これを日本円で受領して簿外資金にしようと考え、被告人若狹にその旨伝えて了承を得、そのころ専務室で被告人植木に対し、右の趣旨でエリオットと交渉するように指示した。

(二) 被告人植木は、エリオットに要求する際の口実を考え、同年七月一〇日ころ、全日空本社でエリオットに対し「大阪空港問題のためもう一〇万ドル欲しい。」旨伝え、エリオットは、右要求は一〇万ドル相当の日本円の簿外による支払要求であると知つてこれを承諾した。そこで、被告人植木は、被告人澤にその旨報告したところ、同被告人は、入金があつたときは被告人青木に渡すように指示し、そのころ被告人青木にも右の経過の概略を説明し、入金があつたときは被告人植木から受け取つて簿外資金として保管するように指示して同被告人の了承を得、以上の経過で被告人四名の間に順次共謀が成立した。その後、同月下旬ころ、被告人植木は、エリオットから現金を持参する旨の連絡を受け、被告人澤及び同青木にその旨報告し、被告人澤も被告人青木にその旨伝え、再度保管方を指示した。

3ロッキード社の三、〇三四万五、〇〇〇円の調達と日本への搬入

ロッキード社は、LAIAGに一〇万五、〇〇〇ドル(五、〇〇〇ドル分は、本来は全日空に渡されるべきものではなく、他の用途に使用されるはずのものであつた。)相当の日本円の調達と日本への送金を指示し、LAIAGは、昭和四九年七月一六日ころ、ロスアンゼルス・ディーク社に対し、東京のパレスホテルに滞在中のエリオットに一〇万五、〇〇〇ドル相当の日本円三、〇三四万五、〇〇〇円を送金するように依頼し、エリオットは、そのころ右金員を受け取つた。

二  罪となるべき事実

被告人若狹、同澤、同植木及び同青木は、いずれも本邦に居住するものであるところ、前記共謀に基づき、全日空の簿外資金とするため、法定の除外事由がないのに、前記のとおり、L―一〇一一の一五号機ないし二一号機のオプション期限は昭和四九年八月末と約定されていたところ、ロッキード社の要請により、右七機のうち一五、一六号機の二機について、右期限より早く同年七月一八日にロッキード社との間に確定購入契約を締結した謝礼として、同月下旬ころ、全日空本社において、エリオットから非居住者であるロッキード社のための支払である現金三、〇三四万五、〇〇〇円を受領し、もつて非居住者のためにする居住者に対する支払の受領をしたものである。

第六  被告人若狹の議院証言法違反の事実(被告人若狹に対する昭和五一年九月三〇日付起訴状記載の公訴事実)

一  前提事実

1三井物産のDC―一〇発注に関連する偽証関係

(一) 三井物産が全日空社長大庭哲夫の要請によりダグラス社とDC―一〇の購入契約を締結した経緯

(1) 日航では、新大型ジェット旅客機の国内幹線導入について、かねてからその採否及び機種の調査、検討を行つていたが、結局、昭和四四年七月末ころ、その採否の決定を無期延期した。

(2) 同年七月初めころ、三井物産は、ダグラス社の代理店としてDC―一〇の販売活動を行うことになつたが、販売先は全日空に限定されていた。

三井物産輸送機械部次長灘波清一(以下、灘波という。)は、同年七月二〇日過ぎころ、ダグラス社副社長マックゴーエン(以下、マックゴーエンという。)から、日航が国内線用大型ジェット機の採否の決定を無期延期するとの意向であることを聞知し、既にダグラス社が日航に提示していたプロポーザルにより同社向けに製造することを予定していたDC―一〇の三機を全日空に売り込もうと考え、同月二五、六日ころ、全日空本社を訪れ、当時全日空社長であつた大庭哲夫(以下、大庭という。)に右三機の購入方をすすめた。大庭は、かねてから全日空においても同社発足二〇周年記念の年にあたる昭和四七年四月から国内幹線に大型ジェット機を導入しようと考え、その機種としてDC―一〇が最適と考えていたが、DC―一〇は市場性の強い機種であつたところから、早期に手を打つておかなければ間に合わないと危惧し、自己の一存で灘波に対し右三機の購入についてダグラス社と交渉するように依頼した。

(3) 昭和四四年七月二七日ころ、大庭は、全日空本社で灘波から引合わされたマックゴーエンらダグラス社の関係者に対し、全日空は同四七年四月ころを目途にDC―一〇を就航させ、数年間継続して少なくとも合計二〇機以上を購入する予定である旨話したうえ、「社内でオーソライズして航空局の許可をとるには時間がかかるので、それまでの間、三井物産においてダグラス社が日航に提示しているDC―一〇の三機について、同社に対するのと同一条件で押さえておくこととして貰いたい。」旨要請した。そこで、灘波は、三井物産輸送機械部担当の常務取締役李家勝二らに大庭の右要請を報告して協議した結果、全日空の社内の意向は不明ではあるが、全日空の社長である大庭がDC―一〇の採用決定の意思表示をしたのであるから、後日全日空として正式に発注があるものと考え、三井物産がダグラス社からのプロポーザルに基づいてレター・オブ・インテントを発し、前渡金を全日空のために立替払することにより、全日空がダグラス社と正式に購入契約を締結するまでの間、全日空のためDC―一〇の引渡しを受ける権利を確保することとし、三井物産社長若杉末雪(以下、若杉という。)の承諾を得た。

(4) 同年七月二九日、大庭は三井物産に赴き、若杉に対し「全日空は大型機を昭和四七年四月に導入する。それで今回ダグラス社が日航向けに見積つている飛行機を是非全日空のため押さえてほしい。」旨要請するとともに、これに必要な資金援助を要請し、若杉はこれを了承した。そして、直ちに若杉とマックゴーエンの両名は、大庭立会いのもとに、ダグラス社の三井物産に対する昭和四四年七月二五日付プロポーザルに基づき、三井物産がダグラス社にDC―一〇の三機を確定発注し四機をオプションする旨レター・オブ・インテント(作成日付は同年七月二五日付)に署名した。

(5) その後、三井物産は、大庭の要請もあつて確定発注を一機増加することとし、同年九月一七日、ダグラス社に、確定発注分を四機、オプション分を六機に変更する旨のレター・オブ・インテント修正書(作成日付は同年八月一六日付)を発した。更に、三井物産は、ダグラス社の要請もあり、大庭の了解を得て、同四五年二月二日、ダグラス社との間に、右レター・オブ・インテント修正書に基づき、四機を確定発注し六機をオプションする旨の正式購入契約を締結した。

(6) 昭和四五年四月ころ、霞が関ビル内三井クラブで大庭、若杉、マックゴーエンの三者が会談し、大庭は、同年七月末までに特別仕様を提示し、同年九月三〇日までに全日空社内の意思を統一したうえ、ダグラス社と正式契約を締結することを確約した。その翌日、灘波は、右会談に立会つた日本ダグラス株式会社社長ボガードを伴つて全日空本社に大庭を訪ね、前日の会談についてのメモを示し、前記確約事項を再確認させた。

(7) 大庭は、全日空社内においてDC―一〇を選定するとの意思が統一され、正式発注が可能になるまでは事を内密に運ぶ意向であり、このことは三井物産側においても了承していた。

(二) 被告人若狹が右(一)の事実の概要を了知したこと

(1) 昭和四五年六月初めころの渡辺尚次の報告

(イ) 三井物産の灘波は、昭和四四年七月二九日に三井物産がダグラス社にレター・オブ・インテントを発したのちの同年八月中ころ、大庭に対し、三井物産とダグラス社間の右契約を全日空とダグラス社間の契約に移行させるため、ダグラス社の全日空宛のプロポーザルの作成等事務上の手続を打合わせる必要があるが、納期との関係もあるので全日空の担当者と交渉に入りたい旨打診したところ、大庭から、全日空調達施設部長松田功(以下、松田という。)に事情を告げて交渉するように言われ、三井物産が同年九月一七日ダグラス社にレター・オブ・インテント修正書を発したのちの同年九月末ころ、松田に「大庭社長のご希望に沿つて、うちの方でDC―一〇を押さえさせて貰つた。昭和四七年四月には必ず間に合う。」旨話した。松田は、灘波の話を聞き、直ちに大庭にその真偽を確かめたところ、大庭は、「昭和四七年四月に間に合うように自分が三井物産に押さえさせた。」旨肯定し、このことは当分の間社内にも内密にするよう松田に命じた。

(ロ) 昭和四五年六月一日に大庭が社長を退任して間もなくのころ、松田は、渡辺尚次(当時全日空専務取締役。以下、渡辺という。)に対し、「昭和四四年秋ころ、三井物産の灘波から『大庭社長から話があつて、ダグラス社に昭和四七年度に入れる機材を押さえておいた。』と言われ、大庭社長に確かめたところ、『昭和四七年四月に導入するのに間に合うように、三井物産を通じてダグラス社にDC―一〇を三機くらい押さえてある。』と言われた。このことは、大庭社長から口止めされていたが、社長が交替したし、三井物産から早く正式契約にしてくれとせつつかれているので、どうしたものかと思つて相談にきた。」旨打明けた。

渡辺は、松田の話を聞いて、直ちに全日空社長室で被告人若狹に右の話をそのまま伝えた。

(2) 昭和四六年末ころの右渡辺の報告

(イ) 昭和四五年六月一日の大庭の社長退任後も全日空においては機種選定作業は継続されたが、決定をみるに至らないでいたところ、三井物産は、なお全日空がDC―一〇を導入するとの基本方針に変更はないものと判断し、同年一一月初めまでにダグラス社に対し前記オプション権を行使して更に二機を確定発注したが、同四六年二月の運輸省の行政指導によつて、大型ジェット機の導入時期は同四九年度になる可能性が極めて強くなつたところから、同四六年五月、確定発注の六機を全日空に買い取らせたうえ、同社がこれを国内幹線に就航させるまでの間海外航空会社にリースさせるか、三井物産において外国の航空会社に転売するかの決断を迫られるに至つた。そこで、そのころ三井物産は、同社常務取締役石黒規一名義で全日空に対し、ダグラス社に発注したDC―一〇の六機は、全日空の使用に便なるように取り計らつているので全日空において採用してほしい旨の文書を送つて、全日空の意向を打診したが、拒否された。

(ロ) 三井物産は、ダグラス社に発注したDC―一〇を全日空の方で購入しないことが明らかとなつたため、前記六機を外国の航空会社に転売すべく努力したが、容易に進捗せず、窮地に陥つた。そこで、同四六年末ころ、三井物産常務取締役植村一男らは、弁護士の意見を徴するなどして打開策を検討した結果、DC―一〇を発注した経緯から、全日空に損害賠償の義務があるとして全日空にこれを買い取らすよう強硬に迫るほかはないと考え、そのころ全日空を訪れ、渡辺に「三井物産がダグラス社にDC―一〇を発注したのは当社が勝手にしたのではない。大庭社長が昭和四五年三月に、霞が関ビル三五階の三井クラブで若杉社長、ダグラス社のマックゴーエン副社長に、全日空が昭和四七年度に導入する機材としてDC―一〇を四機ぐらい買うと約束したからである。書類はないが、社長同士が約束したことは契約として成立することは明らかである。全日空が購入を断るのであれば、訴訟を起したらどうかという意見もある。」旨強硬に申し入れた。

渡辺は、そのころ社長室で、被告人若狹に右植村らの申し入れをそのまま報告した。

2全日空の簿外資金に関連する偽証関係

(一) 被告人若狹が藤原亨一から第三記載の一億一、二〇〇万円の受領及び保管について報告を受けたこと

前記第三・一の経緯から、昭和四九年八月二日、大久保の連絡により、藤原亨一(当時全日空経営管理室長。以下、藤原という。)は、前記料理店「あか羽」でクラッターと会い、会食後、同店前路上で同人から現金一億一、二〇〇万円在中のダンボール箱一個を受け取り、これをいつたん自宅に搬入し、数日後、被告人若狹に四〇万ドル相当の日本円を受け取り保管している旨報告した。

(二) 被告人若狹が澤雄次から第四記載の二、〇七二万円の受領及び保管について報告を受けたこと

前記第四・一の経緯から、昭和四九年六月中旬ころ、植木忠夫(当時全日空調達施設部長。以下、植木という。)は、全日空本社でエリオットから現金二、〇七二万円在中の買物袋一個を受け取り、青木久賴(当時全日空経理部長。以下、青木という。)にこれを手交し、青木は、直ちに澤雄次(当時全日空専務取締役。以下、澤という。)にデモフライトの金が約二、〇〇〇万円入つた旨報告し、澤は、そのころ社長室で、被告人若狹にその旨及び青木に右金員を保管させている旨報告した。

(三) 被告人若狹が右澤から第五記載の三、〇三四万五、〇〇〇円の受領及び保管について報告を受けたこと

前記第五・一の経緯から、植木は、全日空本社でエリオットから現金三、〇三四万五、〇〇〇円在中の買物袋一個を受け取り、青木にこれを手交し、青木は、金額を確認したのち、澤に約三、〇〇〇万円受領した旨報告し、澤は、そのころ社長室で、被告人若狹にエリオットから約三、〇〇〇万円受領して青木にこれを保管させてある旨報告した。

二  罪となるべき事実

被告人若狹は、L―一〇一一の採用等に関する疑惑を解明するための国会のいわゆる国政調査権に基づく証人喚問を受けたのであるが、前記のとおり、同被告人の前任者である大庭の要請により、三井物産が、全日空のため、大庭の社長在任中である昭和四四年七月二九日ころ、ダグラス社との間に、DC―一〇を三機確定発注し四機をオプションする旨のレター・オブ・インテントを発し、次いで、同年九月一七日ころ、DC―一〇を四機確定発注し六機をオプションする旨のレター・オブ・インテント修正書を発したうえ、同四五年二月二日ころ、右レター・オブ・インテント修正書に基づく購入契約を締結した事実の概要及びロッキード社との間に正規の契約を締結することなく、同社から同四九年六月中旬ころ現金二、〇七二万円、同年七月下旬ころ現金三、〇三四万五、〇〇〇円、同年八月二日現金一億一、二〇〇万円を受領し、これらを全日空の簿外資金としていた事実をいずれも認識していた(ただし、右各金額については、前記のとおり、それぞれ約二、〇〇〇万円、約三、〇〇〇万円、四〇万ドル相当の日本円と報告を受け、そのように認識していた。)にも拘わらず、証言するに際しこれらの事実を認めると、全日空がL―一〇一一を採用、購入したのは不純な動機や外部からの影響等によるものであるとの疑惑を招き、また、右金員の使途をも追及されることなどを憂慮した結果、

1昭和五一年二月一六日、東京都千代田区永田町一丁目七番一号所在の衆議院において開かれた同予算委員会において、証人として法律により宣誓のうえ証言するに際し、自己の認識に反して、「大庭社長が在任中DC―一〇につき何らかの契約をする、例えば、オプション契約をするとか、製造番号を押さえるとか、何らそういう疑わしい事実はなかつたと確信している。三井物産がダグラス社に対し全日空のためにDC―一〇を仮発注したと思っていないし、仮に仮発注の事実があつたとしても、それは全く全日空に無関係であつたと考えている。」旨及び「全日空がロッキード社から正式な契約によらないで金銭を受領したことは絶対にない。同社から帳簿外の金銭を授受したことは一切ない。」旨陳述し、

2同年三月一日、右衆議院において開かれた同予算委員会において、証人として法律により宣誓のうえ証言するに際し、自己の認識に反して、「大庭社長が在任中DC―一〇につき何らかの、例えば、オプション契約をしたということは全く了解できない。当時DC―一〇は設計段階であつたので、大庭社長がDC―一〇をオプションするということはあり得るはずもなく、DC―一〇を選定する考えをもつていたことは想像もできなかつた。」旨陳述し、

もつて、それぞれ虚偽の陳述をしたものである。

第七  被告人渡辺の議院証言法違反の事実(被告人渡辺に対する昭和五一年七月三一日付起訴状記載の公訴事実)

一  前提事実

1 被告人渡辺が前記澤から第四記載の二、〇七二万円の受領及び保管について報告を受けたこと

被告人渡辺は、昭和四九年六月中旬ころ全日空副社長室で、右澤から、ロッキード社のエリオットからデモフライトの関係で約二、〇〇〇万円を簿外で受領し、前記青木に保管させている旨の報告を受け、その事実を知つた。

2 被告人渡辺が右澤から第五記載の三、〇三四万五、〇〇〇円の受領及び保管について報告を受けたこと

被告人渡辺は、同年七月下旬ころ全日空副社長室で、右澤から「この間五一年度用機材のL―一〇一一を二機ファーム・アップした関係で、ロッキード社のエリオットから簿外で約三、〇〇〇万円貰い、デモフライトの金と一緒に青木に預けてある。」旨の報告を受け、その事実を知つた。

二  罪となるべき事実

被告人渡辺は、前同様に国会の証人喚問を受けたのであるが、前記のとおり、右澤から、同人らがロッキード社から昭和四九年六月中旬ころ現金二、〇七二万円、同年七月下旬ころ現金三、〇三四万五、〇〇〇円をそれぞれ受領し、これらを全日空の簿外資金として保管している旨、いずれもそのころ報告を受け(ただし、右各金額については、前記のとおり、それぞれ約二、〇〇〇万円、約三、〇〇〇万円と報告を受けた。)、その事実を認識していたにも拘わらず、証言するに際し右事実を認めると、全日空のL―一〇一一の採用、購入について種々の疑惑を招き、全日空の信用、会社幹部の責任にもかかわり、更にその使途をも追及されることを憂慮した結果、

1昭和五一年六月一六日、前記衆議院において開かれた同ロッキード問題に関する調査特別委員会において、証人として法律により宣誓のうえ証言するに際し、自己の認識に反して、「右三、〇三四万五、〇〇〇円については社内の主な幹部にもいろいろ聞いたが、だれもそんな金は貰つておらず、私はそれを信用している。」旨陳述し、

2同年六月二四日、右衆議院において開かれた同ロッキード問題に関する調査特別委員会において、証人として法律により宣誓のうえ証言するに際し、自己の認識に反して、「右二、〇七二万円及び三、〇三四万五、〇〇〇円の授受については全然報告を受けていない。関係の調達施設部並びに経理部等の担当役員、幹部に何回も確かめたが、右金銭の授受はないということであつた。三、〇三四万五、〇〇〇円が会社に入つたということは全く信じられない。澤専務ら逮捕された三人が金銭をロッキード社から受け取つたことは今もつて信じられない。」旨陳述し、

もつて、それぞれ虚偽の陳述をしたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人若狹得治及び同藤原亨一の判示第三並びに同若狹得治、同澤雄次、同植木忠夫及び同青木久賴の判示第四及び第五の各所為はいずれも昭和五四年法律六五号(外国為替及び外国貿易管理法「以下、外為法という。」の一部を改正する法律)附則八条により同法による改正前の外為法七〇条七号、二七条一項三号後段、刑法六〇条に、被告人若狹得治の判示第六及び同渡辺尚次の判示第七の各所為はいずれも議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律(以下、議院証言法という。)六条一項にそれぞれ該当するところ、右各外為法違反の罪についてはいずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人若狹得治、同渡辺尚次、同澤雄次、同植木忠夫及び同青木久賴につきそれぞれの以上の各罪はいずれも刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、被告人若狹得治については刑及び犯情の最も重い判示第六の二の1の罪の刑に、被告人渡辺尚次については犯情の重い判示第七の二の2の罪の刑に、被告人澤雄次、同植木忠夫及び同青木久賴についてはいずれも犯情の重い判示第五の罪の刑にそれぞれ法定の加重をし、その各刑期(ただし、被告人藤原についてはその所定刑期)の範囲内で、被告人らを主文記載の各刑にそれぞれ処し、情状により全被告人に対し同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から主文記載の各期間それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して主文記載のとおり被告人らに負担させることとする。

(争点に対する判断)

本件における争点は多岐にわたるが、その主要な点についての当裁判所の判断は次のとおりである。

なお、以下の記述においては左記の例による略語を使用する。また、公判調書の供述部分として証拠になるものも、当公判廷における供述或いは証言として摘示する。

略語

説明

若狹の8・3付調書

被告人若狹得治の検察官に対する昭和五一年八月三日付供述調書

若狭(89)

第八九回公判調書中の被告人若狭の供述部分

大久保証言(39)

第三九回公判調書中の証人大久保利春の供述部分

コーチャン証言

アーチボルド・カール・コーチャンの嘱託証人尋問調書中の供述部分

藤原(52)―101

第五二回公判調書中の被告人藤原の供述部分の一〇一丁

第一  被告人らの検察官に対する各供述調書の信用性等について

本件被告人六名は、捜査段階においては、いずれも事実を認め、判示認定に沿う供述をしていたが、当公判廷においては、いずれも自白を覆し、客観的証拠によつて明らかな外形事実はこれを認めているが、主として共謀関係、特に被告人若狹との共謀関係等同被告人に累が及ぶ事実は努めて否認していることは、検察官が論告において指摘しているとおりである。そこで、被告人らの個々の検察官に対する供述調書(以下、検察官調書という。)の任意性、信用性については必要に応じそれぞれの該当箇所において検討することとするが、はじめに、本件被告人らの各検察官調書に共通する一般的な事項をまず指摘しておくこととする。

被告人らは、当公判廷において、その自白調書が作成されるに至つた経緯について、取調検察官の心理的強制、誘導、押し付けに根負けして事実ないことをも供述したものであるとか、検察官が勝手に作文したものに署名したものであるなどと供述している。

しかしながら、次の諸点、すなわち、

①  被告人らは、社長であつた被告人若狹をはじめ、いずれも全日空の枢要の地位にあり、長年国の運輸行政或いは全日空の経営に参画してきた智識、経験共に豊かなものであつて、仮に検察官の誘導、押し付け等があつたからといつて、それにたやすく屈して全日空の信用、更には自己のみならず相互にその刑責にかかわる事実を、しかも虚偽と知りつつ供述するなどということは一般的にはまず考えられないこと

②  検察官の取調を受けるにあたつては、まず事実を否認で通すことに相互に意思統一がなされていたことは、被告人らの当公判廷における供述によつても十分窺うことができ、そして、実際にも被告人らは取調の当初は事実を否認若しくは黙秘し、或いはあいまいな供述をしていたが、取調が進むに従い次第に自白するに至つたのであるが、その過程において供述の任意性、信用性を否定すべき事情は特に認められないこと

③  各被告人の共謀に関する検察官調書の記載は、当然のことながら、余人を交えない数人或いは一対一の関係被告人の間の会話の内容が中心となつているが、右内容は、その性質上関係者のだれかがこれを検察官に供述してはじめて検察官において知り得ることであり、検察官の方で仮定の事実を想定してこれを押し付けるなどということはできない筋合のものであること

④  被告人らにはいずれも逮捕直後ころに弁護人が選任されているが、捜査段階において、被告人らがその供述の任意性、信用性を疑わしめる事実の存在を弁護人らに申し出た形跡は認められないこと

⑤  被告人らの各供述調書を仔細に検討すると、その内容は、相互に一致するもの、くい違うもの、明らかに記憶違いと認められるもの、のちに資料や喚起した記憶に基づいて前の供述を訂正したもの、同じ事実を述べたものであつてもニュアンスの差があるもの等さまざまであるが、このことは被告人らのそれぞれの記憶に基づいて供述がなされ、検察官もこれをそのまま録取したものであることを窺わせること

のほか、当公判廷における被告人らの供述内容をも合わせ検討すると、被告人らの捜査段階における供述には任意性に欠けるところはなく、全体として信用性も十分にこれを認め得るものと判断した。

第二  判示第三の事実について

一  弁護人の主張

1昭和四七年一〇月二八日の被告人若狹、同藤原のリベートに関する相談は、被告人藤原の申出を被告人若狹が了承したものであるが、その内容は、ロッキード社に対する第一次確定発注分のL―一〇一一の六機について、一機当たり五万ドルのリベートの支払を求めて丸紅と交渉するということであつて、検察官主張のように、二一機全部について確定契約の都度一機当たり五万ドルの金員の支払を受けるというものではない。また、当時被告人両名の意思は、ロッキード社から右金員の支払を受けるというのではなく、同社の販売代理店である丸紅からその支払を受けるというものであつた。

被告人両名が右六機分に対する金員の支払は丸紅からこれを受けるという意思であつたとする根拠は、全日空では昭和三九年からボーイング社のB―七二七型、更にB―七三七型各航空機(以下B―七二七、B―七三七という。)を導入しているが、これを購入したことに関し、その販売代理店である日商岩井から、同四六年暮以降四九年初めころまでの間、数回にわたりリベートを受領したことがあり、かつ、被告人両名も右リベートは日商岩井がボーイング社から受領する販売手数料の中から支払われたものと理解していた。したがつて、右六機分についても当然ロッキード社の販売代理店である丸紅からその支払を受ける意思であつた。

2被告人藤原が、昭和四九年初め、被告人若狹に本件一億一、二〇〇万円の受領に関し相談したことはなく、被告人藤原は、同被告人自身の考えによつて丸紅の大久保に右金員の支払を交渉し、これを受領したものである。また、被告人藤原が、右金員は丸紅がその販売手数料の中から支払つたものと認識していたことは、前記諸事情に加え、第一次契約の六機分の九、〇〇〇万円は丸紅から受領したものであること、右九、〇〇〇万円のうち約半分は、被告人藤原が松井と話をした同四七年一〇月二九日以前に振出され、かつ、丸紅本社のある大阪市中心部所在の銀行支店振出の預金小切手であつたことからも裏付けられる。

二  当裁判所の判断

1証拠上明らかで被告人両名及びその弁護人らも特に争つていない事実

被告人藤原が、判示日時に判示場所で、クラッターから正規の契約によらず判示一億一、二〇〇万円を受領し、全日空の簿外資金としたこと、右支払は、ロッキード社が調達した金員により同社のためになされたものであること及び右金員の受領について所定の日本銀行の許可を得ていないことは、関係各証拠によつて明らかであり、被告人両名及び弁護人らも特に争つていない。

2被告人両名の各検察官調書の内容と法廷における弁解の各概要

本件における被告人両名の金員受領の共謀及び支払主体の認識の点に関し、判示認定に沿う直接証拠として、被告人若狹の8.3付調書、被告人藤原の7.21付、7.23付各調書がある。

すなわち、被告人若狹の8.3付調書には、「昭和四九年に入つて間もなくのころ、藤原君からこの八機(七号機ないし一四号機)分について、一機当たり、五万ドル相当の簿外の資金をロッキード社から受け取ることについての了解を求められたことがあつた。」、「藤原君が今度の契約分(七号機ないし一四号機分)について前と同じ形でリベートの交渉をしてもよいですか、私の方でやりますよと了解を求めたのでこれを了解した。」旨の供述記載があり、被告人藤原の7.21付調書には、「全日空がL―一〇一一の採用を内定した機会に、若狹社長と相談のうえ、一機当たり五万ドル相当の裏金をロッキード社から貰うように同社の日本の代理店丸紅と交渉することになつた。」、「松井に、もしうちでL―一〇一一に決定した時には丸紅の方からロッキード社に言つて一機当たり五万ドルの裏金を作らせて貰うよう頼んでみてくれませんかと言つた。」、「(松井は大久保と連絡をとり、その結果)松井は私に、ロッキード社の方は全日空の申し入れの三点をすべて了承してくれたと言つてくれた。」、「翌三〇日、若狹社長にロッキード社に対する三点の申し入れは三つともロッキード社の方からオーケーが取れましたと報告した。」、「(全日空は、昭和四八年五月及び同年九月にそれぞれ四機合計八機のL―一〇一一の正式購入契約をしたので)間もなく一機五万ドル相当の日本円をロッキード社が丸紅経由等の方法で支払つてくれると思つていたが、何の連絡もないので、昭和四九年早々のころのように思うが、大久保に電話をかけ、全日空が最初にL―一〇一一に決めた当時、ロッキード社から一機五万ドルの金を支払つて貰うという話があつたんですが、大久保さんご存知ですかと尋ねた。それに対し、大久保が明確な返答をしなかつたので、私は更に、先方のコーチャンは知つているはずですよ、コーチャンに問合わせをして調べていただけませんかと言つて、大久保に問合わせ方を依頼した。」旨、7.23付調書には、「大久保に問合わせ方を依頼したのち間もなくのころ、社長室で若狹社長に、右八機分に対する四〇万ドルの件について大久保を通じてコーチャンに問合わせをして貰つている旨申しあげた。すると若狹社長は、大久保さんと良く相談して前の時と同じようにうまくやつておいて下さいと言われた。」、「クラッターから一億一、二〇〇万円を受け取つたのち四、五日か一週間ぐらいして、社長室で若狹社長に、一四号機までの分四〇万ドルが入り、私が保管しておりますと申しあげた。」旨の各供述記載がある。

ところが、右被告人両名は、いずれも当公判廷において右自白を覆し、弁護人の前記主張に沿う供述をしている。そして、右のような内容の調書が作成されたことについて、被告人若狹は、実際はそのような事実を述べていないのであるが、取調検察官がそのように書いたのを見て、藤原君の供述によつてそのように記載したものと考え、藤原君がそう言つているのであれば私はそれを認めようと思つてその内容を了承し、調書に署名した旨(若狹(89))、被告人藤原は、右調書は取調検察官が勝手に書いたものであるとか、根負けして調書に署名したものである(藤原(79))などと供述している。

3被告人両名の法廷供述等、右両名の各検察官調書を除くその余の証拠の検討

そこで、まず被告人両名の右各検察官調書を除いたその余の証拠、すなわち、被告人両名の当公判廷における各供述等関係各証拠によつて認められる事実に基づき、弁護人の右主張を検討することとする。

(一) 本件金員受領に関する被告人両名の共謀について

(1) 当初の第一次契約の六機分に対する九、〇〇〇万円については、その受領に関し事前に被告人両名の間で協議したうえ、被告人藤原が松井と交渉し、入金後も同被告人から被告人若狹に報告がなされていることは被告人両名の当公判廷における各供述によつて認めることができる。もつとも、被告人若狹は、当公判廷において、右金員が入金になつたという報告を被告人藤原から受けた記憶はない旨供述しているが、一方、「藤原君から何も言つてこなかつたから当然入つていると思つた。藤原君が報告したと言うのであれば、藤原君の記憶の方が確かかも知れない。」旨供述し、また、「渡辺副社長には使途のこともあるので、六機分について一機当たり五万ドルのリベートが入つていることは話しておいた。」とも供述(若狹(89))しているから、いずれにしても右九、〇〇〇万円が入金になつたことを認識していたことは明らかである。

ところで、本件一億一、二〇〇万円の金員は、全日空が購入を予定していた二一機のうち、第一次契約の六機に続く第二、第三次契約の七号機から一四号機までの八機分に対するものであり、しかも、金額としても多額のものであるから、右認定のように、当初の六機分については被告人藤原において同若狹とその受領について事前に相談し、受領後も同被告人に報告しているのであれば、本件一億一、二〇〇万円の金員についても被告人藤原において同様の措置をとつているものと推認され、本件金員については事前に被告人若狹と全く相談をせず、被告人藤原の一存で事を運び、事後にもその受領、保管の事実を被告人若狹に何ら報告していないなどということは、まことに不自然であつて、事柄の性質上たやすく首肯し難いところである。被告人藤原自身も、当公判廷において、その理由について、ただ自分の一存でよいと思つた、他に理由はないと言うのみであつて(藤原(55))、他に納得し得る説明は何らしていないのである。

(2) しかも、右関係証拠によれば、昭和四七年一〇月二八日の役員会終了後の被告人両名の簿外資金の要求についての相談及び翌二九日夜の被告人藤原と松井との交渉は、第一次契約の六機分についてなされたものであり、大久保がコーチャンと折衝したのも同様であつたと認められるところ(この点は後にもふれる。)、そうだとすると、本件金員の支払要求は、むしろ新しい要求に当たるものであり、当公判廷において「何千万或いは億を超える裏金を作つていることが公になれば、脱税の問題などが生じて会社の将来に相当な影響を及ぼすかも知れないと思つていた。」旨供述(藤原(55))している被告人藤原が、本件のごとき多額の裏金を新たに受領するのに被告人若狹に無断でこれをなし、また、その受領の事実を同被告人に報告しなかつたということは、被告人藤原の全日空における当時の地位を考慮しても不自然、不合理であつて、理解に苦しむところである。

(3) また、被告人両名の当公判廷における各供述によれば、全日空では、昭和四六年にボーイング社からB―七二七、B―七三七を購入するにあたり、被告人若狹の了解を得たうえ、被告人藤原らが相謀つて、全日空の簿外資金を捻出するため、ボーイング社の代理店である日商岩井に交渉し、同年以降昭和四九年までの間に何回かにわたり、日商岩井の担当者から日本円で合計約九、〇〇〇万円を受領して簿外資金とし、被告人若狹自ら或いはその承認を得て政治家への餞別等に支出していたこと、受領後も、その多額のものについては受領の都度被告人藤原において被告人若狭に報告していたことが認められる(若狹(89)、藤原(55)、(149)。

(4) 被告人若狭は、第二次契約以降は、第一次契約当時に比し、丸紅は形式的に飛行機の空輸についての仕事を代理する名目だけの代理店となつていて、丸紅と全日空との関係は親密度が薄れていたから、第二、第三次の八機分について裏金を貰うということは到底考えられなかつたし、そういう話が出る余地はなかつた旨供述し(若狹(89))、弁護人も同旨の主張をしている。

なるほど、第二次契約以降は、丸紅と全日空の関係は被告人若狹の供述するような関係にあつたと言えないことはないが、そうであればなおさらのこと、被告人藤原としては第二、第三次の八機分に対する本件金員の受領について事前に被告人若狭と相談すべき状況にあつたのではないかという疑問が生ずる。この点に関しては、被告人若狹は、検察官の「既にリベートを要求できるような段階ではないと言つているが、被告人藤原において被告人若狹の了解もなしに本件金員を受領してもよいということになるのか。」との質問に対し、被告人藤原が相談できない事情は考えられないとしながら、「わたしと藤原君との契約の実態の認識、一機五万ドルの問題についての理解の相違と思う。」旨極めてあいまいに答えるのみで、納得できる理由は説明されていないのである。

(5) 更に、右関係証拠によれば、全日空においては、もともと本件のごとき簿外資金は会社の正規の経理を経ることのできない、例えば政治家への餞別、政治献金等の支出に充てるため設けられたもので、被告人若狹自らにより或いはその承認を得て支出されてきたものであつて、本件金員もこれと同じように使われるべきものであつたことが認められる。

以上見たように、被告人藤原は、日商岩井の担当者から受領した金員(その支払主体については後述する。)の場合も、本件に先立つ第一次契約の六機分に対する金員の場合も、事前にその受領について被告人若狹と相談し、或いはその了解を得、受領後もその報告をしていること、並びに本件金員の性質、金額等を考慮すれば、状況的には本件一億一、二〇〇万円についても事前に被告人両名間にその受領について意思の連絡があり、受領後も被告人藤原から被告人若狹に報告がなされたと考えられる。本件金員については従前の例と異なり、被告人若狹と何の相談もせず、或いはその了解なしに被告人藤原の一存で事を運んだとする被告人両名の当公判廷における各供述は、叙上の事実に照らし合理性を欠き信用性に乏しいと言わなければならない。

(二) 本件金員の支払主体に関する被告人両名の認識について

本件金員は、前記のとおり、被告人藤原が直接クラッターから受領したものであり、同被告人は、クラッターがロッキード社の判示地位にあつて、L―一〇一一の日本における販売活動に従事していたことを知悉していたのであるから、同被告人は、少なくとも右受領の時点で本件金員がロッキード社からの支払であることを認識していたことは明らかである。

ところで被告人藤原は、当公判廷において本件金員がロッキード社からの支払にかかるものではないかと考えたのは、昭和四九年七月二九日パレスホテルにクラッターが登場してからであり、当初の六機分九、〇〇〇万円については丸紅が販売手数料の中から支払つたものと思つていた旨供述している(藤原(55))。しかしながら、

(1) 被告人藤原が、第二、第三次契約の八機分に対する本件金員の支払について、電話で大久保にコーチャンへの問合わせを依頼した経緯は判示のとおりであるところ、大久保証言によると、その際、被告人藤原は、大久保に対し、「八機分に対する五万ドルのことについて大久保さん知つているかと聞いてきたが、よく知らなかつたのであいまいな返事をしていたところ、コーチャンがよく知つていると思うから、コーチャンに聞いてほしい。」と言うので、コーチャンに国際電話で被告人藤原の右要求を伝えたというのである(大久保(39))。このように、被告人藤原がコーチャンへの問合わせを依頼したということは、同被告人において、昭和四九年初めころ既に、当初の六機分に対する九、〇〇〇万円はロッキード社から支払われたものと認識し、また、本件金員についてもこれを同社が支払うものと認識していたことの証左といつて差支えない。もつとも、この点について被告人藤原は、当公判廷において、大久保には「六機分と同様に八機分についても一機当たり五万ドルの金が貰えれば結構だが、大久保さん何かご存知ありませんか。」と言つたところ、大久保は、「そうですか。」とか、「ええ」とかはつきりした返事をしなかつたが、「近々アメリカへ行く予定があるのでその時コーチャンに聞いてみましよう。」と言つたというのである(藤原(55))。しかし、大久保が被告人藤原の依頼に対しあいまいな返事をしたという状況からすれば、被告人藤原においてコーチャンに聞いてほしいと要請することはごく自然の成行きであろうと考えられるし、コーチャンも東京からの電話で大久保から八機分についての四〇万ドルの要求があつた旨証言(コーチャン証言・三巻)していることに徴しても、右大久保証言は十分信用できる。

また、当初の六機分九、〇〇〇万円が入金後の昭和四九年二月二〇日ころ、被告人藤原が、当時全日空副社長であつた渡辺に対し、「この金のことは丸紅では大久保以外は知らない。」旨話したことが認められるところ(渡辺(58)、(144)、そうだとすると、右事実もまた、被告人藤原において、その時点で既に右九、〇〇〇万円はロッキード社から支払われたものと認識していたことの証左であるといつて差支えない。すなわち、仮に右九、〇〇〇万円が丸紅の販売手数料の中から全日空に支払われたものであるとするならば、そのようなことは、事柄の性質上大久保が丸紅内部の他の関係者に諮ることなく一存でなし得るところではないから、右九、〇〇〇万円の支払について、丸紅では大久保以外にだれも知らないということは、その支払がロッキード社の負担によるものであることを前提としてはじめて理解できるところであり、したがつて、被告人藤原が渡辺に右のように話したということは、同被告人において、その時点で既に右金員がロッキード社からの支払であると認識していたものと推認させる事実であると考えられるのである。

ところで、被告人藤原が右のように認識するに至つた契機について、本件全証拠を検討しても、被告人藤原が松井と折衝後右各時点までの間に、同被告人をして右六機分九、〇〇〇万円の金員がロッキード社からの支払であることを認識させるような特別の事情は全く窺えないのである。もつとも、被告人藤原と松井との交渉の経緯はさきに認定したとおりであり、その過程において大久保がコーチャンと折衝した事実はあるけれども、全日空の要請中にはロッキード社による運航整備体制の援助という同社の承認が必要な事項が含まれていたのであるから、大久保がコーチャンと折衝したという事実の認識は、右六機分に対する金員がロッキード社の負担による支払であるとする認識に直接には結びつかない事柄である。この点については、被告人藤原自身も当公判廷において、弁護人の「松井から大久保がコーチャンと話をするからと聞かされたのに、交渉相手は丸紅だと思つていたのか。」との質問に対し、ロッキード社による運航整備体制の援助問題が交渉事項の中に含まれていたから、丸紅側がコーチャンに連絡するのは当然であると思つた旨供述しているのである(藤原(79))。

(2) 被告人藤原が、当初の六機分の金員は丸紅が支払うものと思つていた旨強調するに至つたのは、第五五回公判期日以降のことであるが、それ以前の公判廷においては、右金員はロッキード社から受領するという認識のもとに松井と交渉してきたとする前提の検察官の質問に対して、何ら疑問を呈することなく当然のこととして認めていた節も随所に窺えるのである(例えば、藤原(52)―101「要するに一機五万ドル相当のお金を契約外でロッキード社から貰つて、それを全日空の裏金にすると、こういうことになつていたということですね。」との検察官の質問に対し、「ええ、そのように私はやつております。」と答えている。他に藤原(52)―103裏、同―109裏)。

右(1)、(2)に検討したところを総合すると、被告人藤原の前記法廷供述はそのまま信用するわけにはいかないのであり、むしろ右六機分に対する九、〇〇〇万円がロッキード社の負担による支払であることを初めから認識していたことが窺われるのである。六機分の裏金の中には大阪の銀行振出の小切手が入つていたから、大阪に本社がある丸紅の支払いであると思つた旨の被告人藤原の法廷供述も右認定を左右するに足りない。

而して、本件金員及び六機分に対する金員の受領については、いずれも被告人若狹において事前に了解していたと認め得る状況にあることは前述のとおりであるところ、その支払主体に関し被告人若狹が被告人藤原と異なる認識をもつべき特段の事情は存在しない。

4被告人両名の各検察官調書の検討

弁護人らは、被告人両名の前記各検察官調書は、取調検察官の誘導、理詰め、若しくは強制的な押し付けによる供述を録取したものであつて、いずれも任意性、信用性がない旨主張する。そして、被告人両名の判示認定に沿う各検察官調書の供述記載の概要及び右各調書の作成経緯に関する被告人両名の弁解の要旨は前掲(第二・二・2)のとおりである。

しかし、被告人両名の右各調書を対比してみるに、例えば、被告人若狹の8.3付調書によると「本件一億一、二〇〇万円の入金については被告人藤原から報告を受けた記憶はない。」というのであり、また、同調書には、被告人藤原が大久保を通じて本件金員の要求についてコーチャンに問合わせていることを同被告人から被告人若狹に報告があつたとする記載はないのに対し、被告人藤原の7.23付調書によると、同被告人は、これらの事実をすべて被告人若狹に報告したというのである。更に、被告人藤原の7.21付調書によると、L―一〇一一の採用にあたり、ロッキード社から謝礼を貰つて裏金を作ることを言い出したのは被告人若狹であるというのであるが、被告人若狹の8.3付調書によると、反対に被告人藤原が言い出したというのである。このように、被告人両名の各調書には極めて重要な点について全く相反する記載があるのであるが、もし被告人らの言うような状況下で右各調書が作成されたのであれば、右のような重要な点について互いに相違する調書が作成されることはあり得ないはずである。加えて、右各調書の前記引用部分の前後の記載も極めて具体的、自然な供述を内容とするものであつて、特に不合理な点は見出すことはできない。このことに冒頭(第一)で指摘した諸事情も合わせ考えると、被告人両名の調書作成の経緯に関する前記弁解には大きな疑問があることを否定することはできない。

なお、弁護人らは、被告人若狹の右8.3付調書の証拠能力についても争つているので検討する。

弁護人らは、「右調書は違法な逮捕、勾留中に録取されたものであるから証拠能力はない。すなわち、被告人若狹は、昭和五一年七月八日、判示第四、第五の外為法違反並びに判示第六の議院証言法違反の各被疑事実によつて逮捕され、右外為法違反の各被疑事実については同年七月二八日に起訴された。しかるに、同被告人は右起訴と同時に本件(判示第三)の外為法違反の被疑事実によつて再逮捕され、引続き二〇日間勾留され、同年八月一八日に右の事実について追起訴されたのであるが、右再逮捕、勾留は、本来その理由がないのに、専ら橋本登美三郎ら政治家に関する事件の裏付捜査のためになされたものであつて、違法な再逮捕、勾留であり、右調書はかかる違法な逮捕、勾留中に録取されたものであるから証拠能力はない。」旨主張する。

なるほど、右再逮捕、勾留(同年七月三〇日)時点において、被告人藤原は既に本件について被告人若狹と共謀があつたことを検察官に自白し、その旨の供述調書が作成されていることが認められるが、被告人両名の関係、本件の背景、態様等を考慮すれば、被告人若狹が本件に関し被告人藤原と相謀つて事実を曲げる虞れが多分にあつたことは否定できないのであつて、刑訴法六〇条一項二号の理由があることは明らかである(再逮捕の理由があることは言うまでもない。)から、弁護人らの右主張は採用しない。

5右1ないし4のまとめ

以上検討したところを総合すると、被告人両名の右各調書の任意性、信用性はこれを認めるに十分であるのに反し、右各調書の記載に反する被告人両名の当公判廷における供述には不合理、不自然な点が多く、信用性に乏しいと言わなければならない。そして、叙上の事実に右各調書の前記引用部分を総合すると、本件に関しては判示第三のとおり認定することができる。

6その余の問題点の検討

(一) 昭和四七年一〇月二八日の被告人両名の共謀について

検察官は、昭和四七年一〇月二八日、被告人両名の間において、当初の一号機ないし六号機の六機分について判示金員を要求することを決めた際、その後確定発注する分についても(したがつて、七号機ないし一四号機についても)、その都度同様の金員を受領する旨の共謀が成立していた旨主張し、その証拠として、被告人若狹の8.9付調書中に「丸紅側との契約の詰めに関しては、L―一〇一一の確定契約の都度、全日空が一機当たり五万ドル相当の日本円をロッキード社から謝礼として貰うよう、その交渉を藤原にするように言つた。」旨及び被告人藤原の7.21付調書に同旨の供述記載があることを指摘する。

しかし、右の「確定契約の都度」という点に関しては、被告人藤原の7.21付調書には、一号機ないし六号機分のみにとどまらず、購入するL―一〇一一全部について一機当たり五万ドル相当の日本円を貰うつもりで松井と交渉した旨の供述記載はあるが、その旨を松井に対し明言した旨の記載はないこと、大久保証言によると、昭和四七年一〇月二九日夜、大久保がホテル・オークラでコーチャンと折衝した際も右六機分についてのみ交渉し、オプション予定の七号機ないし二一号機については話題になつていないことが認められ(大久保(39)、(40))、このことはコーチャン、クラッターの各証言によつても裏付けられる(コーチャン証言・三巻、クラッター証言・四巻)。これらの点を合わせ考えると、被告人両名において、購入予定の二一機全部について、確定購入契約の都度一機当たり五万ドル相当の日本円を受領できるものと期待していたことは推察するに難くないものの、それは被告人両名の内心にとどまるものであつて、右の時点においては、未だその点についてまで意思連絡があつたとまでは認められないから、検察官の右主張は採用しない。検察官の指摘する、被告人両名が判示一〇月二八日の役員会終了後、ロッキード社に一機当たり五万ドル相当の日本円の提供方を要請するについて相談した際、六機分に限るとの話をしていないこと、松井に対しても被告人藤原は六機分に限定して話をしていないこと、昭和四九年初めころ、第二、第三次契約分の八機について大久保に問い合わせた際、同人があいまいな返事をしたところ、「コーチャンがよく知つていると思うから、コーチャンに尋ねてほしい。」旨依頼していること等の諸点を考慮しても、なお右認定を左右するに足りない。

(二) 被告人両名の昭和四九年初めの判示共謀について

被告人若狹は、8.3付調書において、昭和四九年になつて間もなく、社長室で被告人藤原から八機分について裏金を貰うことについての了解を求められた旨供述し、被告人藤原は、7.23付調書において、昭和四九年初めころ、大久保にコーチャンへの問合わせを依頼したのち、社長室で被告人若狹にそのことを報告し、本件金員の受領について同被告人の了解を得た旨供述していることは前記のとおりである。

被告人両名の各供述は、それ自体では全く別個の時点における事柄を述べているのか必ずしも明確ではないが、被告人藤原が、当初の六機分についてと同様、第二、第三次契約についても一機当たり五万ドル相当の日本円を受領できるという期待をもつていたとすれば、契約締結後日時が経過しても何らの連絡もないことに不審を感じて、被告人若狹に相談する前にまず大久保に打診するということも十分あり得ることであるし、被告人若狹の右供述も、被告人藤原の右打診後、同被告人から相談を受けた場面のことを述べたものと解する余地があるから、右両供述は特に矛盾するものではないと考えられる。

(三) 日商岩井からの簿外資金の受領について

被告人藤原らが、昭和四六年以降同四九年までの間、B―七二七、B―七三七の購入に関連し、日商岩井の担当者から約九、〇〇〇万円を受領し、簿外資金としたことは前認定のとおりであるが、弁護人らは、右のような前例があつたことをもつて、被告人両名が本件金員の支払主体を丸紅と認識していたとの主張の根拠とする。そして、被告人両名も当公判廷において右主張に沿う弁解をしているが(若狹(89)、藤原(55))、右金員の支払が前記航空機の購入に関連している以上、日商岩井の担当者からこれを受領したからといつて、それだけで直ちにその支払主体が日商岩井であるとは言えない。かえつて、被告人藤原は、7.26付調書において、右金員の支払についてボーイング社副社長ウィルチらと交渉したこと、交渉の動機、受領金額等に至るまで極めて具体的、詳細に供述しているところ(なお、弁護人らは、第二・二・4掲記の理由と同じ理由により同調書の任意性、信用性を争うが、第一掲記の諸事情のほか、被告人藤原は、当公判廷においてもウィルチと交渉した点を除き、ほぼ同旨の供述をしている(藤原(55))ことに徴しても同調書の任意性、信用性は十分これを認めることができる。)、同調書中で更に被告人藤原は、右金員がボーイング社の支払にかかるものであることを被告人若狹に伝えた旨供述し、被告人若狹も8.3付調書の中で右金員はボーイング社から受領した旨供述しているのである。右金員が客観的にボーイング社又は日商岩井のいずれの計算と負担において支払われたのかは本件全証拠によっても明らかではないが、被告人両名が、主観的には右金員はボーイング社の支払にかかるものであると認識していたことは右各調書によって明らかであり、被告人らの弁解はその前提において措信できず、弁護人らの右主張は理由がない。

(四) 外為法違反の認識について

弁護人は、被告人両名には外為法違反の認識がなかつた旨主張しているが、その趣旨がもし被告人両名において本件金員の受領が外為法上の規制を受けることは知つていたが、具体的にいかなる法条に触れるか知らなかつたというのであれば、それはいわゆる法の不知であつて、何ら犯罪の成立を妨げるものではない。また、外為法の規制を受けるということも知らなかつたとの趣旨であつても結論は右と同様である。しかし、本件金員の受領が外為法の規制を受けることを知らず、その知らないことにつき相当の理由があるというのであれば、犯罪の成立を妨げる理由になると解する余地がある。

そこで検討するに、被告人藤原は、当公判廷において、捜査段階で検察官に「外国にある会社などから日本円で金を支払つて貰うについては大蔵省とか日銀などの許可が必要だということは、一般的な常識程度のこととして知つていた。」旨述べたことは、「それはそのとおりだと思つております。」と供述し、更に、本件に関しては、「クラッターが登場して、これはロッキードの負担になるんだなという感じを持ちましてからは、これはそういう(外為法に違反すること)可能性もあるかなという感じを持つた。」と供述しているのである(藤原(55))。被告人若狹についても、その経歴、全日空における役職等を考えれば、本件金員の支払主体がロッキード社であることを認識していたと認められる以上、外為法違反の点に関しても、少なくとも被告人藤原と同程度の認識を有していたものと推認できるところ、被告人若狹も8.3付調書において、本件金員の受領が外為法に違反するとの認識を有していたことを認めており、その供述が信用すべきものであることは前述のとおりであるから、弁護人らの右主張は採用できない。

第三  判示第四の事実について

一  弁護人の主張

1被告人若狹は、本件金員の受領について被告人澤から事前に報告ないし相談を受けた事実はなく、したがつて、右金員を簿外にすることについて了承を与えたこともない。被告人若狹は、本件には全く関与せず、圏外の存在であつた。

2被告人澤は、本件金員の受領について事前に被告人若狹の了承を得たことはない。被告人澤は、エリオットの反応いかんによつて、できることなら簿外にしたいとの考えであつたのであり、積極的、計画的に簿外資金の捻出を計つたものではなく、また、被告人植木に対し、デモフライトの金員を日本円で受領するように指示した事実はない。

3被告人植木は、エリオットに対し、日本円での支払を要求した事実はない。もともと本件金員の提供はエリオットの方から出したもので、かつ、キャッシュで支払うこともエリオットが先行的に申し出たものであるから、被告人らの間に外為法違反の認識・共謀はなかつた。

4被告人青木は、被告人澤に対し、本件金員を簿外資金とするように進言した事実はなく、ただ、本件金員を保管したにすぎず、共謀の事実はない。

二  当裁判所の判断

1証拠上明らかで被告人四名及びその弁護人らも特に争つていない事実

被告人植木が、判示日時に判示場所で、エリオットから正規の契約によらず判示二、〇七二万円を受領し、全日空の簿外資金としたこと、右支払は、ロッキード社が調達した金員により同社のためになされたものであること及び右金員の受領について所定の日本銀行の許可を受けていないことは、関係各証拠によつて明らかであり、右被告人四名及び弁護人らも特に争つていない。

2被告人四名の各検察官調書の内容と法廷における弁解の各概要

本件における被告人らの金員受領の共謀の点に関し、判示認定に沿う直接証拠として、被告人澤の7.9付、7.25付各調書、被告人若狹の7.22付調書、被告人植木の6.30―7.1付、7.4付、7.7付各調書、被告人青木の7.7付調書がある。

すなわち、被告人澤の7.9付調書には、「昭和四九年三月下旬ころ、青木部長が専務室の私のところに来て、今度オーストラリア・デモフライトで貰う金を簿外に落として前から話のあつた裏金を作つたらどうでしようかねと言つてサジェスチョンを与えてくれた。」、「その少し前ころ、植木部長から、今度のデモフライトの料金について六万ドルぐらいの金を貰うようにロッキード社と交渉したいと言つてきたので、これを了承していたところへ前に述べたような青木部長の助言があつたので、ロッキード社からデモフライトの料金として約二、〇〇〇万円貰えるならば、それで前から考えていた簿外資金を作ることができるなと思つた。」、「(青木部長からサジェスチョンを受けて)すぐ社長室へ相談に行つたが、一、二日ばかり会社で社長に会えなかつたので、私の自宅から若狭社長の自宅へ電話をかけて相談した。このような大事なことは社長に相談しなければならないと思つたから、まず社長に相談した。」、「電話に出た若狹社長に、今度のオーストラリア・デモフライトについて約二、〇〇〇万円くらい貰う心算ですが、青木君からサジェスチョンもありましたので、この金を簿外に落としたいと思いますが如何でしようかというと、若狹社長は、ああ、そうですかと言つて了解してくれた。若狹社長の電話の声は良く知つているので、社長以外の人と聞き間違えることはない。」、「社長の了解を取つたその翌日ころ、青木君に、専務室か役員応接室で、社長の了解を取つたので、デモフライトの金を簿外に落とすようにしてくれ、この交渉は植木君にさせるから、植木君のところへ金が来たら君が保管しておいてくれ、植木君とも良く相談してやつてくれと言うと、青木は承知しましたと言つてくれた。その場所へ植木部長を呼んだか或いは同人を別に呼んで言つたかよく覚えていないが、いずれにしても植木部長に、専務室か役員応接室で、今度のデモフライトの金を簿外の資金にするからキャッシュで貰つてくれ、このことは社長も了解済みだからよろしく頼む、金が来たら青木君にも話してあるから良く相談してそちらに渡してくれと言うと、植木部長も、承知しましたと言つてすぐ了解してくれた。」、「昭和四九年四月中旬ころ、植木部長が私のところへ来て、エリオットと交渉した結果七万四、〇〇〇ドルを日本円で貰うことにしましたと言つて報告してくれた。それで私は青木君にもその話をして、植木君のところへ金が来たらうまく保管しておいてくれと言つておいた。」旨、7.25付調書には、「(植木君の報告を受けて)前に社長の了解を得てから相当日もたつているし、交渉の結果決まつたことを社長の耳に入れておいた方が良いと思つて、そのころ社長室へ行つて、若狹社長にこの前お話ししましたように、デモフライトの料金の件で約二、〇〇〇万円貰うようにロッキード社の了解を取りましたので、これを簿外資金にする方針でやりますと報告したはずである。」旨の各供述記載があり、被告人若狭の7.22付調書には、「昭和四九年四月下旬か五月初めころ(澤君が、私に代わつて、ロッキード社副社長ホッドソンの駐日大使就任祝賀パーティに出席するため、渡米する前ころ)、澤君が社長室へ来て、私に、オーストラリア・デモフライトの料金は、表向きは料金として貰わず無償にし、実際には簿外の資金として貰おうと思いますが、いかがでしようかと言つてきた。そこで私は、ああ、そうですか、いいでしようと言つて了解を与えた。金額については正確な額は忘れたが、約二、〇〇〇万円ぐらいのことを言つていた。」旨の供述記載があり、被告人植木の7.7付調書には、「エリナットが日本に来る少し前ころ、専務室で澤さんから、ロッキード社から貰うことになつているデモフライトの費用を裏金としてくれるようにエリオットに話してみてほしい、経理の方で必要なのだ、契約の方は表向き全日空が無償で協力する形で処理してほしいと言われた。唐突に言われたので驚いて、裏金つてどういう風にして貰うんですかと聞くと、澤専務は、キャッシュで貰つてくれればいいんだと言つた。」旨、7.4付調書には、「澤専務が、裏金としてキャッシュでとわざわざ言つたのは、日本円で貰つてくれ、という意味である。」旨、6.30―7.1付調書には、「私は、澤専務から指示されたことをエリオットに伝えなければならないと思い、籔下に、例のデモフライトの金をキャッシュでくれるように言つてみてくれんかと言うと、籔下は、私の言う意味はすぐに理解した様子で、エリオットにその旨伝えてくれた。」旨、7.7付調書には、「エリオットは、その帰り際に、私に向かつてゆつくりとした易しい英語で、多分大丈夫だと思う、ただ時間がかかるかもしれないと言つてくれた。」旨の各供述記載があり、被告人青木の7.7付調書には、「(昭和四九年三月末か四月上旬ころから間もないころ)澤専務に、ロッキード社から貰うデモフライトのお金を裏で貰つたらどうでしようか、調達施設部がうまくやつてくれれば、その金を裏で貰えるのではないでしようかと言うと、澤専務は非常に乗り気になつて、そうだ、それはいいことだ、しかし、そんなことは社長と相談してみなければいかんから、ちよつと相談してくるよと言つて席を立ち、専務室を出て行つた。」、「昭和四九年四月中旬ころ、私が澤専務の部屋で雑談しているところへ植木部長が入つて来て私の横に座つた。すると澤専務は私に、オーストラリアのデモフライトの金として七万四、〇〇〇ドルを貰うことになつたから、それを君の方で保管しておいてくれと言つた。私は、判りましたと言つて席を立つた。」、「昭和四九年六月中旬の現実に金が来る一両日前、植木部長が私の席にやつて来て、金の来る日にちを指定し、この日にロッキード社からオーストラリア・デモフライトの金が来ますからねと話してくれた。」、「植木部長が前もつて教えてくれたとおりの日に、オーストラリア・デモフライトの金が届けられた。」旨の供述記載がある。

ところが、右被告人四名は、いずれも当公判廷において右自白を覆し、弁護人の前記主張に沿う供述をしている。そして、右のような内容の各調書が作成されたことについて、被告人澤は、取調検察官から、こうだろう、ああだろうと言われて、そうですと言わざるを得ないような取調がなされたためであるとか、記憶はなかつたが、自分の推測で述べたものである等(澤(44))、被告人若狹は、自分の部下のやつていることについては私は責任を免れようとは思いませんから、何でも取調検事が言つたとおり認めますと言つて、取調検事の書いたものに署名したのである旨(若狹(89))、被告人植木は、取調検察官から、こうじやなかつたのかと言われればそうだつたかなという感じもして、そういう調書が作成された旨(植木(42))、被告人青木は、全部取調検察官が勝手に書いたというわけではないが、取調の状況から私の記憶に基づいた供述がそのまま書いて貰えないと判断し、私の認識とは異なつた内容の調書ではあつたが、読み聞けされても訂正する意思はなかつた旨(青木(48))それぞれ供述している。

3被告人四名の法廷供述等、右四名の検察官調書を除くその余の証拠の検討

そこで、まず被告人らの右各検察官調書を除いたその余の証拠、すなわち、被告人らの当公判廷における各供述等関係証拠によつて認められる事実に基づき、弁護人の右主張を検討することとするが、まず、右関係証拠によれば、被告人澤は、被告人青木の進言を受けて本件デモフライトに関しロッキード社から費用として支払われる金員を全日空の簿外資金とすべく、被告人植木に指示してエリオットと交渉させた結果、全日空は、ロッキード社から七万四、〇〇〇ドルを正規の契約によらずに受領することとなつたこと、被告人澤は、被告人植木から右交渉結果の報国を受け、入金があつたときは被告人青木に渡すように指示し、更に、同被告人にも入金があつたときはこれを保管するように指示したこと、被告人植木は、エリオットから本件金員を受領後直ちにこれを被告人青木に渡し、同被告人はその旨を被告人澤に報告したこと及び被告人澤は、そのころ、被告人若狹に、デモフライトの金を簿外で約二、〇〇〇万円受領し、被告人青木に保管させてある旨報告したことを認めることができる。

(一) 被告人青木の共謀について

本件金員の受領が被告人青木の進言に端を発したものであることは前認定のとおりであるところ、被告人青木は、当公判廷において、被告人澤にややこしいだろうけれども、別でもいいからそのお金は取るべきでしようと進言したが、それは、デモフライトについては有償契約は難しい、費用はすべて当方持ちであるということを聞いたので、本来有償であるべきものを形の上で有償にできないから費用は当方持ちだということでは困る、デモフライトに協力するにしても経費は別の機会にでも当然貰うべきである、デメリットを別の機会にメリットとして返して貰うべきだという趣旨で言つたのであつて、簿外で金を貰おうという趣旨で進言したのではない旨弁解している(青木(48))。

しかし、被告人青木のいう右の趣旨は具体性に欠け、にわかにその意味を把握し難いのであるが、それはともかく、被告人青木の進言を受けた被告人澤は、右進言は有償の契約が難しければ簿外で礼金を貰おうとの提案と受けとめたと供述しているのである(澤(44))。(なお、被告人澤は、当公判廷において、被告人青木から、デモフライトは何かややこしいらしいけれども、別にでもいいから金を受け取りましようやと言われたと供述している。)被告人澤がそのように受けとめるには当然それなりの理由があるからであつて、しかも、右進言を受けた被告人澤は、直ちに「社長に相談してみなければいけない。」と言つて席を立つたことは被告人青木も当公判廷において認めているところであるが(青木(48))、もし、被告人青木の進言が同被告人の言うような趣旨のものであるならば、被告人澤において直ちに被告人若狹に相談しなければならないほどの事柄とは到底思われない。更に、被告人青木、同澤の当公判廷における各供述によれば、昭和四八年暮ころ、被告人青木は、被告人澤から、役員が自由に使える機密費を簿外で作れないかと言われ、検討を約していたことが認められ(青木(48)、澤(41))、これらの事実を合わせ考えると、被告人青木の右弁解は直ちに採用することはできず、同被告人の進言の趣旨は判示のとおりであつたと認めるのが相当である。

また、被告人青木は、当公判廷において、被告人澤に進言後二、三日して同被告人から、社長の了解を取つたから君の言うとおりにしようと言われたが、被告人植木から現実に本件金員を渡されたとき、はじめて簿外の金だと判つた旨供述している(青木(48))。

しかし、当公判廷において、被告人澤は、四月上旬ころ、被告人植木も同席していたかどうかは不明であるが、被告人青木に社長の了解を得たからデモフライトの金は簿外資金にしてくれと指示した旨(澤(41))、被告人植木は、四月一〇日ころ、被告人青木も同席しているところで、被告人澤から、社長も了解しているからデモフライトの七万四、〇〇〇ドルを簿外にしたいので、エリオットの方に話して詰めてくれという趣旨のことを言われた記憶がある旨(植木(42))それぞれ供述しているのである。

被告人青木は、被告人澤から、進言どおりすることについて被告人若狹の了解を得た旨伝えられたことはあるが、それは被告人植木と同席したときのことではない旨供述しているが(青木(48))、被告人植木は、前記のとおり、被告人青木も同席していたと記憶している旨供述し、被告人青木が同席の事実を否定する供述をしたのちの公判期日において、本件について供述する機会があつた際もこの点を訂正していないのであつて、被告人植木の右供述は、被告人青木の供述に比しより信用性が高いと言うべきである。

以上の諸点を総合すると、本件金員については、これを受領後単に保管したにすぎないとする被告人青木の右供述は措信できず、同被告人は、被告人澤らと事前に意思相通じたうえ、本件金員を受領したものであることは十分考えられるところである。

(二) 被告人若狹の共謀について

当公判廷において、被告人若狹は、本件金員の受領に関しては、事前に被告人澤から報告或いは了解を求められたことはなく、昭和四九年六月ころ、同被告人から、デモフライトの謝礼として約二、〇〇〇万円を受け取り被告人青木が保管しているとの報告があつて、簿外の金だと理解した旨供述し、(若狹(89))、被告人澤もこれに沿う供述をしている(澤(44))。

しかし、被告人青木は、当公判廷において。進言後二、三日して被告人澤から、進言どおりにするについて、電話で社長に連絡し了解を得たと言われた旨供述し(青木(48))、被告人植木も、当公判廷において、被告人青木も同席しているところで、被告人澤から、本件金員を簿外資金とすることについて被告人若狹の了解を得たと言われた旨供述している(植木(42))。

被告人澤も、被告人青木、同植木の両名に被告人若狹の了解を得たと述べたことは当公判廷においても認めているが、右両名にそのように述べたのは、自分は入社して間もないころでもあつたから、社長の了解を取つたと言わなければ右両名もこういう業務外のことはやりにくいだろうと思つて、実際は了解を取つていないのであるが、右両名には社長の了解を取つたと言つたのである旨弁解している(澤(44))。

たしかに、被告人澤は、当時入社一年未満ではあつたが、部下である被告人青木、同植木に対しこのような配慮をしなければならない特段の事情は何ら窺えないのみならず、被告人澤の当公判廷における供述によると、被告人青木の進言を受けたときには、被告人若狹の了解を得なければならないと思つて同被告人に相談すべく社長室へ行つたが会えず、その後も二日ほど会えなかつたというのである(澤(44))。そうだとすると、被告人青木の進言を受けたときには実際に被告人若狹に相談しようと思つていたのに、たまたま、同被告人に会えなかつたという偶然によつて相談しなかつたということになり、まことに不自然である。被告人澤は、そのうちこのようなことは経理担当の役員でやるべきであつて社長に相談すべきことではないと考え、結局相談しなかつたと弁解するが、到底措信できない。

更に、被告人若狹は、昭和四九年三月一三日の常務会において、本件デモフライトを有償で行うことを是認しておきながら、同年五月九日ころ、「機体及びデモフライトに必要な人員を全日空の負担で提供する」旨のデモフライトを無償で実施することを明示した禀議書に決裁を与え、同月一五日の常務会において、被告人植木の本件デモフライトを無償で実施する旨の発言を否定していないのであるが、この間特段の事情の変化はないにも拘わらず、有償から無償実施に変わつたことを被告人若狹において了承したことは、本件デモフライト費用を簿外で受領することを同被告人も了解したためであることを推認させる。被告人若狹は、本件デモフライトは社員の士気向上のためにも実施するのであつて、負担と理解すべきではない、全日空が提供すべき機体、人員には金銭的なものはかからないし、何の問題もないと思つて決裁した旨供述するが(若狹(89))、本件デモフライトが契約上有償から無償実施に変わつた理由について、当公判廷において、被告人澤、同植木は一致して費用を簿外で貰うことにしたからである旨供述し、更に、被告人澤は、このことは被告人植木、同青木も知つていた旨供述しているのである。(澤(46)、植木(42))。

以上の諸点に鑑みると、本件金員の受領について事前に被告人若狹は全く関知しなかつた旨の被告人若狹、同澤の右各供述は、いずれも措信できず、本件金員の受領に関し右被告人両名の間に事前に意思の連絡があつたことは状況的には十分考えられるところである。

(三) 本件金員は、エリオットが先行的にキャッシュで支払う旨申し出たものであるとの主張について

被告人澤、同植木は、当公判廷において、本件金員の受領の相談は、日本円の現金による受領まで明確に意識していたわけではなく、簿外にしたいが、簿外にするにはどういう方法があるか、エリオットに打診してみるという程度のことであつた旨、更に、被告人植木は、エリオットと交渉した際、「日本の規則の関係で有償の形にできないので、したがつて、この金については別途別の形で貰いたい。」という趣旨のことを通訳に当たつた籔下に指示して言わせたところ、エリオットは、自分に任しておいてくれという感じで、そのときか一、二日ぐらいのちに「一寸時間がかかるかも知れんが、キャッシュで持つてくるよ。」と言つた旨供述している(澤(44)、植木(42))。

しかし、被告人植木は、前認定の経過から本件金員を簿外で受領すべくエリオットと交渉するに至つたのである。たしかに、簿外で貰えるかどうかはこれからの交渉次第であるから、その意味においては打診であつたと言えないことはないが、被告人澤は、当公判廷において、検察官の被告人植木にキャッシュで貰つてくれと指示したことはないかとの質問に対し、エリオットと相談して、いつたいドルのチェックで日本に持つて来るのか、或いはロスでドルを払い込むのか、或いはアナアメ(All Nippon Airways In-corporation America のこと、全日空の関連会社である全日空商事株式会社のアメリカにおける子会社)に払い込むのか、或いはロッキード社の支店が費用請求をして円に換えてこちらに持つて来るのか、その辺のことは判らないので、被告人植木がロッキード社と打合わせた結果を待つていた旨供述しているのであつて(澤(44))、いずれにせよ、ドルか円の現金で貰うように指示したことが窺われるし、被告人植木も当公判廷において、被告人澤から、裏金にしたいからその点をエリオットの方に話してくれと言われ、裏金にするとすれば、キャッシュで貰うしかないと考えた旨供述し(植木(42))、更に、被告人澤からキャッシュで貰うよう指示されたことを窺わせる供述もしているのである(植木(42)―28〜29)。また、被告人植木の法廷供述によれば、被告人澤、同青木と話し合つた際、日本で使うのだからアナアメで貰つても仕様がない、アメリカで貰つても日本に持つて来られないという趣旨の話が出たことも明らかであるし(植木(42))、被告人澤も当公判廷において、「キャッシュで受け取つてくれと指示したことはないが、植木君は非常な熟練者だし、その辺のことは十分考えていたと思う。」旨極めて含みのある供述をしているのである(澤(44))。

いずれにせよ、本件金員を全日空の簿外資金としたうえ、機密費として使用するというのであれば、日本円で受領するのが最適であることは被告人植木の法廷供述をまつまでもないのであつて、エリオットと交渉するにあたつてもその方向で交渉するようになるのは当然のことであろうと思われる。現にエリオットは日本円を持参しているのである。

なお、エリオット証言中には、本件金員について被告人植木から現金による支払をするよう示唆されたことはなく、自己の判断で日本円の現金で支払うことができると申し出たところ、同被告人はこれを了承してよいかどうか上司と話したいと言い、一両日後、同被告人から右申出に同意するとの話があつた旨の供述がある(エリオット証言・三巻)。被告人植木が上司である被告人澤に交渉結果を報告したことは同被告人らも当公判廷で認めているところであるが、被告人植木がエリオットのいう右申出を受けて被告人澤と話し合い、その了承を得たうえ、エリオットにその旨伝えたという事実は全証拠によつてもその形跡すら窺えないうえ、エリオットは、いわゆるロッキード事件が公になつた直後の昭和五一年三月に、被告人澤の要請を受けて、全日空に対し契約外の金員を送つていない旨の内容虚偽の同人名義の証明書を全日空に送付し、本件事実の秘匿に一役買つた形跡のあることは被告人澤も当公判廷において認めるところであつて(澤(46))、これらの事実を考慮すると、エリオット証言中の右部分は信用できない。

4被告人四名の各検察官調書の検討

被告人らの判示認定に沿う各検察官調書の供述記載の概要及び右各調書の作成経緯に関する被告人らの弁解は前掲(第三・二・2)のとおりである。

(一) 被告人澤の検察官調書について

しかし、被告人澤は、例えば前記7・9付調書において、検察官から「若狹社長はそんな(被告人澤からデモフライトに関し簿外資金を作ることの了解を求められた)電話を受けたことはない、ロッキード社からデモフライトの金を貰つたことは知らないと否定しているが、(被告人澤が述べていることは)間違いありませんか。」と尋ねられて「絶対間違いありません。」と断言し、7・25付調書においては、被告人澤自身本件について公訴を提起されたのちであり、本件について被告人若狹も公訴提起が必至とみられる状況であつたにも拘わらず、7・9付調書の内容を再度肯定したうえ、エリオットから簿外で本件金員を日本円で支払う旨の承諾を得たのちに、その旨を被告人若狹に報告したという同被告人が供述していない新たな事実をも供述しているのである。そして、被告人澤は、当公判廷において、取調に対しほぼ検察官調書記載のとおり供述したことを認めているのであるが、その理由について、例えば、被告人青木の進言内容に関しては、受領した本件金員を簿外資金としたため、取調検察官から、そうだろう(検察官調書に記載してあるとおりであろう)と言われると、そうですと肯定せざるを得なかつた旨供述し、本件金員の受領について事前に被告人若狹の了解を得たと供述したのは、被告人植木、同青木に電話で被告人若狹の了解を取つたと言つたことを供述したため、ついそのように述べてしまつた、被告人若狹の了解を取つたことは絶対間違いないと断言したのも勢いで言つてしまつた旨、更に、取調検察官から何度も確認されたが訂正しなかつた、被告人若狹の了解のもとにやつたと言わざるを得ない心境であつたなどと供述しているのである(澤(44))。

これらの諸点に鑑みると、被告人澤の右各調書は、いずれも同被告人が自発的に供述したことがそのまま録取されていると言つて差支えないうえ、前記各引用部分の前後の内容も極めて自然で不合理な点は認められないのである。このことと冒頭(第一)で指摘した諸事情を合わせ考えると、右各調書の記載内容は十分信用できるものと認められる。

弁護人は、「全日空が本件デモフライトの費用をほぼ七万四、〇〇〇ドルと決めたのは、昭和四九年四月一〇日前後であるところ、被告人澤の7・9調書には、既に三月下旬に約二、〇〇〇万円を受領することが決定していたかのように記載されているが、そのようなことは到底あり得ないことである。被告人若狹に電話で了解を得たとする部分も、右の誤つた事実を前提として、昭和四九年三月下旬ころ、約二、〇〇〇万円ぐらい貰う心算であると伝えたなどと記載されているのであるから、右調書の信用性はない。」旨主張する。

なるほど、被告人澤が被告人若狹に電話で本件金員の受領について了解を得たのは、被告人植木と籔下がエリオットから七万四、〇〇〇ドル相当の金員の支払の承諾を得た日の何日か前であると考えられるところ、エリオットは、昭和四九年四月一二日から一八日まで日本に滞在しており、かつ、籔下は、同月一六日から二一日までアメリカへ出張しているから、エリオットの右承諾があつたのは、同月一二日から一五日までの間であると認められ、そうだとすると、被告人澤が被告人若狹から右の了解を得たのは同月一〇日ころと考えられる。ただ、本件七万四、〇〇〇ドルが全日空内部で請求予定額として決定されたのは、エリオットの右承諾の当日なのか、或いはその何日前なのか必ずしも明らかではない(籔下証言によると当日であり、被告人植木はその何日か前であるという。)。したがつて、被告人若狹の了解と七万四、〇〇〇ドルの決定との前後関係は不明確だと言わなければならない。してみると、被告人澤が日にちの点を除けば、被告人若狹に右了解を得る際、七万四、〇〇〇ドルと決まつていたことを前提としたとしても必ずしも誤りであるとは言えないのみならず、本件デモフライトの費用として請求すべき金額が、機体の減価償却ベースで計算すると六万ドルないし八万ドルとなることは、被告人若狹の了解を得る前である同年四月上旬には被告人澤においても被告人植木から聞いて了承していたと認められることは判示のとおりであるから、被告人澤がこれを日本円に換算して(当時の交換率は約二八〇円である。)、約二、〇〇〇万円の請求をなし得ると考えていたとしても不自然ではない。いずれにせよ、右調書において、被告人澤が被告人若狹に了解を求めた際、約二、〇〇〇万円という金額が決定されていたことを前提にしたとしても格別それが誤つているとは言えない。被告人澤が被告人若狹の了解を得たのは昭和四九年四月一〇日ころと認められることは既に述べたとおりであり、その点においてそれを同年三月下旬ころとしている被告人澤の右調書中の供述は、弁護人主張のとおり誤りであると認められるが、日時については特段の記録が残されていない本件の場合、右程度の混乱が生じたとしても何ら不合理、不自然ではなく、この点の誤りは右調書中のその余の供述の信用性に影響を及ぼすものではない。

(二) 被告人若狹の検察官調書について

被告人若狹は、前記7・22付調書中で、「被告人澤の弁護人から『澤は、若狹の自宅へ電話をしてデモフライトの費用を簿外で受領する了解を得たと捜査官に供述している。』旨聞かされたが、私としては、社長室で直接話をした記憶である。」と供述し、被告人澤から了解を求められた時期についても「昭和四九年四月下旬か五月初め」と供述し、被告人澤の7・9付調書の「同年三月下旬ころ」とする供述と相違しているのであつて、被告人若狹の記憶に基づいて述べたことが録取されていると認められるうえ、同被告人の全日空における立場や冒頭(第一)において述べた諸事実を考慮すれば、同被告人の調書作成の経緯に関する前記弁解はそのまま信用することはできない。なお、被告人澤が被告人若狹に本件金員の受領について了解を得たのは昭和四九年四月一〇日ころと認められること、被告人若狹の7・22付調書によると、同被告人は、その時期を「同年四月下旬か五月初め」と供述していることは前述のとおりである。そして、その後の7・26付調書において、被告人若狹は、被告人澤に関する日本人出帰国記録調査書の写を見たうえ、右時期を「同年四月ころ」と訂正しており、結局、右の時期に関する7・22付調書の供述記載は不正確だと言わなければならないが、その故に同調書のその余の供述部分の信用性を否定すべきでないことは言うまでもない。

また、弁護人は、右7・22付調書の証拠能力をも争つているので、その点について検討する。

弁護人は、被告人若狹は、取調に当たつた山邊力検事から椅子を蹴飛ばされたり、壁に向かつて立つように命ぜられたことがあり、また、被告人澤を取調べていた廣畠検事が取調室へ行入つてきて、「全日空では、やみ金を常務以上で分けているのだろう。」という趣旨の発言をし、否定すると、同検事から「お前の女房や子供たちも全部逮捕してやる。」などと言われて椅子を蹴飛ばされたことがあり、このような想像もしなかつた取扱いを受けたため、精神的動揺をきたしていたが、その時期に山邊検事から具体的事実はこうだと言われ、部下達がそのように話しているのであれば、その責任を取らなければ部下達の勾留が長引くものと考えて、山邊検事の作成した調書に署名したのであつて、被告人若狹の右自白は、検察官の間接的暴力と心理的圧迫の影響下における自白であり、任意性はなく、証拠能力はない旨主張する。

被告人若狹は、当公判廷において、一方においては弁護人の右主張のごとき事実があつたことを供述しているが、他方、「山邊検事に『部下の言つていることは自分が全部責任を取ります、部下の言つていることはみな認めますから、そういう調書を作つていただければ認めます。』と言つたのに対し、同検事の『いや、やはりあなたが思い出して貰わないと困ります。』というやりとりがあつて調書が作成された。」とも供述しているのであつて(若狹(93))、右山邊力の証言、被告人若狹の当公判廷における供述を仔細に検討すると、同被告人の供述するごとき任意性を疑わしめる取調がなされた事実はこれを認めることはできない。

(三) 被告人植木の検察官調書について

被告人植木の調書作成経緯に関する前記弁解自体は調書の記載内容が記憶に基づいて述べたものであることをすべて否定しているわけではなく、同被告人の法廷供述と異なる点は専らエリオットとの交渉に関する部分であると言つて差支えないのであるが、例えば6・30―7・1付調書中には、被告人澤から、被告人植木が被告人青木と同席しているところで、デモフライトの費用をキャッシュで貰うようにエリオットと交渉することを指示された際の出来事として、被告人植木が「その金は、アナアメで貰うわけにはいかないのか。」と尋ねたのに対し、「アメリカで使うならいいんだが、こちらで必要なんだ……。」と言われたと供述しているが、それを言つたのは「澤専務であつたか青木であつたか、どちらかというと青木であつた記憶の方が強いのですが」と供述し、続いて「青木が金を受け取つても領収書なんかは書かんでくれよ … …。」と言つたと供述するなど、記憶の濃淡に応じて供述していることが認められ、また、エリオットとの交渉に関する部分は籔下の検察官調書の記載によつても裏付けられており、結局、右各調書の供述内容は十分信用してよいものと認められる。

(四) 被告人青木の検察官調書について

被告人青木の前記7・7付調書の記載と法廷供述が異なる点は、専ら被告人澤に対する進言の趣旨と同被告人から本件金員の保管を指示された時期に関する部分であるところ、被告人青木は、右7・7付調書中において、被告人澤から、デモフライトの金を簿外で貰うことになつたのでこれを保管しておくように言われたのは、被告人青木が被告人澤にデモフライトの金を簿外で貰おうと進言し、同被告人からその件につき、被告人若狹の了解を得た旨伝えられた際のこととは別の、その後の機会のこととして供述しているのに、被告人澤は、7・9付調書の中で、被告人青木に最初に本件金員の保管を指示したのは、被告人若狹の了解を得た旨伝えた際のこととして供述し、本件金員の保管を指示した時期について異なつた供述をしていることが認められるのであつて、被告人青木の右調書は、同被告人の記憶に基づいて述べたことが録取されていると認められるうえ、冒頭(第一)掲記の諸事情を考慮すると、右調書の供述記載はその信用性を肯定すべきものと考えられる。

なお、弁護人は、右調書の記載のうち、「昭和四九年四月中旬ころ、青木は、植木と同席の際、澤からデモフライトの金七万四、〇〇〇ドルの保管を指示された」旨の部分について、この記載は、被告人青木が被告人澤から本件金員の保管の指示を受けたのは、被告人植木とエリオットとの本件金員の支払交渉が成立したのちのことであることを意味するとしている。なるほど、供述者である被告人青木の記憶はそうであろうし、また、右記載の「七万四、〇〇〇ドル」という金額に着目しても、被告人植木とエリオットとの交渉成立後のことであると主張する弁護人の右指摘は正しいものと解されるのであるが、被告人青木は、右に述べたように、被告人澤からデモフライトの金の保管を指示されたのは、デモフライトの金を簿外で貰おうと被告人澤に進言し、同被告人から被告人若狹の了解を得た旨告げられたときとは別の機会(被告人若狹の了解を得た旨告げられた方が先)であると供述しているのに、被告人澤は、7・9付調書中で、同一の機会にもその保管を指示した旨供述し、被告人植木は、既に述べたように、当公判廷において、被告人澤から被告人青木も同席しているところで被告人若狹の了解を得た旨告げられたと記憶していると供述しているのであるから、右の「青木は植木と同席の際」という点に着目すれば、右記載は、被告人植木の供述している場面、すなわち、同被告人とエリオットとの交渉前の出来事をその後のこととして誤解して供述しているものと考えられる余地があるところ、前述のとおり、七万四、〇〇〇ドルの支払要求を全日空内部で決定した時期が必ずしも明らかでないうえ、被告人澤は、被告人青木に被告人若狹の了解を得た旨告げる以前に、被告人植木からの報告により、デモフライト関係でロッキード社に要求し得る金額は六万ないし八万ドルと認識していたことが認められるから、これらの金額を基準にして、被告人植木とエリオットとの交渉によつて七万四、〇〇〇ドルという金額が確定しない前においても約七万ドルの金員を請求できるとして、それらの金額が被告人澤から被告人青木に示され、同被告人において七万四、〇〇〇ドルの金額が示されたと誤信して供述したとも考えられるのであるから、これらの事情から判断すると、右記載は、弁護人主張のように、被告人植木とエリオットとの交渉成立後のことを供述しているものとは必ずしも断定できず、かえつて、交渉前のことを供述しているのではないかと考えられるのであり、したがつて、右記載も、被告人植木、同青木が出席の際に、かつ、被告人植木とエリオットの交渉成立前に、被告人澤から被告人青木に対し本件金員の保管が指示されたものと認定する一資料となるものと思われる。

5右1ないし4のまとめ

以上検討したところを総合すると、被告人らの右各調書の任意性、信用性はこれを認めるに十分であるのに反し、右各調書の記載に反する被告人らの各法廷供述には不合理、不自然な点が多く、信用性に乏しいと言わなければならない。そして、叙上の事実に右各調書の前記引用部分を総合すると、本件に関しては判示第四のとおりに認定することができる。

6その余の弁護人の主張について

なお弁護人は、日本銀行の許可を得て受領した金員を簿外とすることもあり得るし、また、日本銀行の許可を得ない、すなわち、外為法所定の手続を経ないで受領した金員を正規の帳簿に載せることも可能であるところ、検察官は、本件につきデモフライト料金を簿外としたことの立証にのみ終始し、被告人らが互いに外為法違反の行為をすることについて通謀のあつたことの立証を怠つたと主張する。

なるほど、日本銀行の許可を得て受領した金員を簿外資金とすることもあり得ることは弁護人主張のとおりであるが、およそ簿外資金を作るため金員を入手しようとする場合、一般的にはそれが公にならないよう正式な金員の移動がなかつたように装うことは明らかであるから、特段の事情のない限り、金員の正式な移動を前提とする外為法所定の手段を履践することはあり得ないと考えてよく、本件において特段の事情は何ら窺えないうえ、被告人らは本件金員を簿外資金とすべく謀議し、本件金員が正規の契約によらないロッキード社の負担による支払であることを認識し、かつ、その故に当然本件金員を外為法関係の所定の手続を経ないで受領することを認識していたことは本件証拠上明らかであるから、弁護人の右主張は採用しない。

第四  判示第五の事実について

一  弁護人の主張

1被告人若狹は、被告人澤に対し裏金受領を暗に示唆する等の行為は全くなかつたのであり、被告人若狹は、本件には全く関与せず、圏外にあつた。

2本件金員は、エリオットがL―一〇一一の販売促進の目的で一方的に提供を申し出たもので、本件一五、一六号機の確定購入契約締結に対する謝礼ではない。被告人澤及び同植木の認識は、エリオットが持つて来たら貰おうという程度のものであつて、要求したものではない。右被告人両名には外為法違反の認識はなかつた。

3被告人青木は、本件金員を保管しただけである。

二  当裁判所の判断

1証拠上明らかで被告人四名及びその弁護人らも特に争つていない(ただし、受領した金員の額の点は除く)事実

被告人植木が判示日時に判示場所で、エリオットから正規の契約によらず判示三、〇三四万五、〇〇〇円を受領し、全日空の簿外資金としたこと、右支払は、ロッキード社が調達した金員により同社のためになされたものであること及び右金員の受領について所定の日本銀行の許可を受けていないことは、いずれも関係証拠によつて明らかであり、右被告人四名及び弁護人らも受領した金額の点を除いては特に争つていない。

なお、右金額の点について被告人青木は、受領した金額は二、八〇〇万円である旨捜査段階から供述しているが、エリオットは、全日空に三、〇三四万五、〇〇〇円を届けた旨供述しているところ(エリオット証言・三巻)、ロッキード社の依頼によつて外国貨幣専門会社ロスアンゼルス・ディーク社からエリオットに送金された金員が三、〇三四万五、〇〇〇円であつたことは、同証言(二巻)添付の副証二―Aの一九七四年七月一六日付外国送金受領証によつて認められるうえ、昭和五一年二月本件が新聞報道等によつて明らかにされて以来、全日空内部において、右金員に関してコーチャンが八機のオプション機に対するものである旨証言しているのは誤りであるとの論議はなされたが、金額が三、〇三四万五、〇〇〇円ではなく、二、八〇〇万円ではないかとの論議がなされた形跡はないこと(植木(145)、渡辺尚次の手帳(昭和五二年押第一、四五五号の二二三)の昭和四九年七月二五日の欄には「五一年七機の内二機二八〇〇」と記載されていることが認められ、右記載は、同人の7・30付調書によると、被告人澤、同青木から本件金員受領の報告を聞いて記載したことが認められるのであるが、同調書中で渡返は、右手帳を検察官から示されて尋ねられても、被告人澤から三、〇〇〇万円ぐらい貰つたと聞いた旨供述し、当公判廷においても特にこれを否定していないこと等から判断すると、本件において受領した金員は判示のとおり認定するのが相当である(なお、被告人青木が、金額は二、八〇〇万円であつたと供述しているのは、エリオットと全日空との間の交渉が主にドルでなされていたところ、受領した金額が約一〇万ドル相当の日本円と記憶され、同被告人が最初に関与したデモフライトの件の際の邦貨換算率が二八〇円であつたところから、同被告人としては右のような額として記憶された可能性もあると思われる。)

2被告人四名の各検察官調書の内容と法廷における弁解の各概要

本件における被告人らの共謀の点に関し、判示認定に沿う直接証拠として、被告人澤の7・11付調書、被告人若狹の7・25付調書、被告人植木の7・1付調書、被告人青木の7・8付調書がある。

すなわち、被告人澤の7・11付調書には、「昭和四九年六月下旬か七月上旬ころ、若狹社長から、今度一五、一六号機をファーム・アップすることについて何とかうまいことが考えられないかねと言われた。その話しぶりから察して、社長が、デモフライトの料金の時と同じように、一五、一六号機のファーム・アップについてロッキード社から裏で金を貰つて簿外資金を作つてくれないかという意味で言われているように思つた。」、「(植木部長が一五、一六号機のファーム・アップの交渉の件について相談に来たとき)植木君が一五、一六号機をファーム・アップしてやるについて一〇万ドルぐらい貰つたらどうでしようかと言つたような記憶が若干残つている。そこで私は、植木君に、結構だと思うというようなことを言つて社長室へ行き、若狹社長に、今度一五、一六号機をファーム・アップするについて一〇万ドルぐらい貰つて前と同じように簿外の資金にしたいと思いますと言うと、社長は、結構ですよと言つてこれを了解してくれた。そのあと、私は植木君を呼び、役員応接室で話したと思うが、一〇万ドルをキャッシュで貰うようにエリオットと交渉してくれ、前と同じように簿外の資金がいるんだ、社長も了解済みだから頼むと言うと、植木君も、承知しましたと言つて引き受けてくれた。」、「それからまもなく、植木君が私のところへ、エリオットが一〇万ドルキャッシュで持つて来てくれることを承知してくれましたと言つてきた。そのとき私は植木君に、金が来たら前と同じように青木君に渡しておいてくれと言つておいた。そして、青木君を呼んで、青木君にも、一五、一六号機をファーム・アップするについて、植木君が相手と交渉して一〇万ドルをキャッシュで貰うようにしたから、その金が来たら前と同じように簿外の資金にして君が保管しておいてくれと言うと、青木君も、承知しましたと言つて引き受けてくれた。」、「(植木君からエリオットが現金を持参する日時の連絡を受け)それから直ぐ青木君を呼んで、○○日の○時ころ例の金が植木君のところに来るそうだから、金が来たら前と同じように保管しておいてくれと言つておいた。」、「私は、青木君から約三、〇〇〇万円入りましたと報告を受けたあと直ぐ社長室へ行つて、若狹社長に、この前もお話しておいたように、一五、一六号機の関係の金がエリオットを通じて約三、〇〇〇万円入りましたから、デモフライトの時の金と合わせて簿外の資金にして青木君に保管させていますから、前と同じように自由にお使い下さいと言うと、若狹社長も、判りましたと言つて、ロッキード社から約三、〇〇〇万円貰つたことを承知された。」旨の供述記載があり、被告人若狹の7・25付調書には、「(昭和四九年七月上旬ころからしばらくのちのころ)澤君が、ロッキード社のエリオットが三、〇〇〇万円くらいお礼をしたいと言つているので簿外の資金に入れたいと思いますが、いいですかと言つてきたので、私は、いいですよと了承してやつた。前のデモフライトの時と同様に、全日空からは領収証など出さずに受け取る現金を簿外の資金に入れるということだから、これも同様にエリオットが日本銀行などの許可を受けずに、香港あたりで日本円をつくつて持つて来るものと思つた。」、「(昭和四九年七月一六日に稟議書を決裁してから数日のちに)澤君が社長室に来て、エリオットが三、〇〇〇万円くらい持つて来ましたので、これを青木君に保管させておりますからお使い下さいと言つたので、判りましたと言つておいた。」旨の供述記載があり、被告人植木の7・1付調書には、「(昭和四九年七月上旬ころ、澤専務に、一五、一六号機の確定購入契約をするについて、前渡金の支払は八月末とし、値引きも要求しようと思う旨伝えると)澤専務は、値引きの方は一寸待つてくれ、それもいいが、実は経理の方でもう少しいるので、もう一〇万ドルくらいキャッシュで貰つてくれないかと言つた。続けて、金を受け取つたら経理部長に渡してくれよなと言つた。」、「昭和四九年七月九日の夕方ころ、エリオットが来日し、同月一〇日か一一日ころ調達施設部にひとりでやつて来たので、私は、自分でブロークンな英語で、確かWe want to get more one hundred thousand dollars for Osaka problem というように言つた。エリオットは、私の話を聞くと極めてあつさりと、オーケー、オーケーと言つて請負つてくれた。それで私は、澤専務には間もなく、エリオットが承知してくれた旨報告した。」旨の供述記載があり、被告人青木の7・8付調書には、「一五、一六号機の確定購入契約についての票議書が私のところへ回つてきた日(昭和四九年七月一六日か一七日)の一週間程前だったと思うが、澤さんが、一五、一六号機の購入契約を無理して結んでやることにしたので、ロッキード社から値引きの代わりに一〇万ドル裏金として貰うことにしたから、その金が来たらまた君の方で植木君から受け取つて保管しておいてくれよと言うので、判りましたと言つて引き受けた。」、「その後、先程の稟議書が私のところに回つてきた直後ころと思うが、澤 専務が、例の金が○日に来るから君の方で頼むよと言われた。」旨の供述記載がある。

ところが、右被告人四名は、いずれも当公判廷において右自白を覆し、弁護人の前記主張に沿う供述をしている。そして、右のような内容の各調書が作成されたことについて、被告人澤は、そういう事実はないのであるが、取調検察官の方で筋を決めていて、いくらそれを違うと言つても聞き入れてくれないので、取調検察官の言う筋にしたがつて供述したのである旨(澤(46))、被告人若狹は、取調検察官が勝手に書いたものであるが、澤がそういう供述をしているんだろうと推測して署名したのである旨(若狹(90))、被告人植木は、実際は調書記載のような記憶はないのであるが、取調検察官から論理的にはこうなると言われて述べたものである等(植木(42))、被告人青木は、実際は調書記載のような事実はないのであるが、取調検察官が書いたものを見て、澤 専務か植木部長がそう言つているのでそのような調書になつたのかも知れないと思い、結局認めたのである等(青木(48))と供述している。

3被告人四名の法廷供述等、右四名の各検察官調書を除くその余の証拠の検討

そこで、まず右被告人らの各検察官調書を除いたその余の証拠、すなわち、被告人らの当公判廷における各供述等関係証拠によつて事実関係をみると、判示第五・一・1の事実のほか次の事実を認めることができる。

すなわち、本件金員は、判示第五・一・1の経緯から全日空がロッキード社との間にL―一〇一一の一五、一六号機の確定購入契約を締結したことに関し、ロッキード社からその負担において同社のため全日空に支払われたものであること、本件金員の受領に関しては、事前の被告人澤、同植木間の謀議に基づき、被告人植木とエリオットとの交渉の結果支払われたものであること、エリオットから本件金員を受領した被告人植木は、被告人澤の指示に基づきこれを被告人青木に渡し、同被告人は金額を確認したのち直ちに被告人澤に受領したことを報告し、被告人澤は、そのころ被告人若狹に、一五、一六号機の確定購入契約をした礼金約三、〇〇〇万円が入つた旨報告したこと及び本件金員は、被告人青木において、判示のとおりの趣旨のロッキード社からの謝礼であることを認識したうえ、被告人澤の指示によりこれを保管したことをそれぞれ認めることができる。

なお、弁護人は、昭和四九年四月ころ、既に全日空においては昭和五〇年ないし五四年度の長期事業計画において、P・S・Aからのリース機を全部返却する方針が確認されていたのであつて、L―一〇一一の一五、一六号機について確定購入契約をするためリース機を急きよ返却したものではない旨主張するところ、なるほど、関係証拠によれば、弁護人主張のような長期事業計画が存在することは認められるが、中町義幸(全日空経営管理室企画部)の証言によると、長期事業計画は、いわば事業見通しとでも言うべきものであり、たとえば長期事業計画の内容とされた事項でもあつても、具体的な年度の機材計画等を確定的に拘束するものではないことが認められるから(中町(133)、弁護人主張のような長期事業計画が存在するからといつて、当然にL―一〇一一の一五、一六号機の確定購入契約と無関係にリース機二機が返却されたということは言えない。かえつて、被告人若狹は、当公判廷において、ロッキード社の要請に応えるため事務的に検討した結果、「二機リースしてあるが、そのリースの期限が来るのでそれを返却し、その代わり新しい機材二機を買つたらどうかという話が企画の方でされ出したわけである。」旨供述し(若狹(90))、被告人澤、同植木も同旨の供述をしているのであつて(澤(46))、植木(42))、弁護人の右主張は採用できない。

また、被告人若狹は、当公判廷において、本件金員について被告人澤から入金の報告を受けたという記憶はなく、逮捕されるまで入金の事実は知らなかつた旨供述している(若狹(90))。

しかし、被告人澤は、当公判廷において、本件金員の受領について事前には被告人若狹の了解ないし指示を受けたことはないが、入金後同被告人に、一五、一六号機の礼金が約三、〇〇〇万円入り、簿外にして青木君が預かつておりますから自由にお使い下さいという趣旨のことを報告した記憶がある旨供述していること(澤(46))、本件が新聞報道等によつて表面化した際、両被告人らの間に、本件に関するチャーチ委員会でのコーチャン証言の記事について、同人が本件金員はオプション機八機を全日空にファーム・アップさせるためのPR費である旨証言しているが、八機というのは間違いではないか、PR費と言つているが、PR費は一号機から六号機までしか貰つていないから、コーチャンは勘違いしているのではないか等々が話題になつたことは、両被告人の法廷供述によつても明らかであるが(若狹(90)、澤(46))、もし被告人若狹が逮捕されるまで本件金員の入金の事実を知らなかつたというのであれば、その際当然被告人澤らに本件金員について問い質すはずであるのに、被告人若狹がその点を確かめた事実はないこと等の事実を総合すると、本件金員の入金については被告人澤から被告人若狹に報告があつたと認めるのが相当である。

以上の諸事実に前認定のデモフライトに関して簿外資金を作出した状況をも合わせ考慮すると、本件とデモフライトの件の場合における被告人らの関与の態様に高度の類似性を認めざるを得ないのであり(被告人若狹については、前認定のとおり、更に判示第三の事実に関しても、また、その余の簿外資金の受領に関してもすべて事前に同被告人において指示し或いは了解していること)、したがって、本件金員の受領に関しても事前に被告人らの間において了解、相談があつたということは十分考えられることである。

4被告人四名の各検察官調書の検討

被告人らの判示認定に沿う各検察官調書の供述記載の概要及び右各調書作成経緯に関する被告人らの弁解の概要は前掲(第四・二・2)のとおりである。

(一) 被告人澤の検察官調書について

被告人澤は、前記7・11付調書中で、取調検察官から「社長は、この金のことは知らないと言つているようですが、どうですか。」と尋ねられて、「社長もいずれ正直に申し上げると思いますが、これまで私が申し上げたとおり事前に若狹社長の指示があり、一〇万ドルを貰うということの了解を得たうえでロッキード社から受け取り、受けとつたあとも直ぐ社長に報告しているのです。」と述べているのである。被告人澤は、取調検察官に右のように述べたことを当公判廷においても認めたうえ、当時は既に植木君の供述の筋に従つて検察官の方でも筋が決まつていて、それに合わせるように繰り返し聞かれ、やむを得ずそれにストーリーを合わせて供述してしまつたのであり、心にもないことを申し上げてしまつたと供述している(澤(46))。

しかし、当時被告人若狹は事実を全面的に否定していたときであり、被告人植木も被告人若狹の指示ないし了解があつたことを何も検察官に述べていないのであつて、被告人若狹の指示、了解があつたということは被告人澤以外知らないはずのことである。もし、事実被告人若狹の指示、了解がなかつたのであれば(たとえ、本件金員の受領を被告人植木に指示したのは被告人若狹の指示があつたからであろうという論法で検察官から質問されたとしても)、検察官から被告人若狹は事実を否定している旨告げられているのに、社長の指示、了解を得たことは間違いない、社長もいずれ正直に言うと思いますなどと心にもなく言える筋、合の事柄ではない。そして、冒頭(第一)に摘示した諸事情をも考慮すると、被告人澤の前記調書の信用性はこれを肯定すべきものであると考える。ただ、同調書中被告人植木が、一五、一六号機のファーム・アップについて相談に来たとき、同被告人が一〇万ドルぐらい貰つたらどうかと言つたという部分は、記憶が若干残つているという程度であるところ、のちに触れる被告人植木の7・1付調書の記載に照らして措信しない。

(二) 被告人若狹の検察官調書について

被告人若狹の前記7・25付調書と被告人澤の7・11付調書とを対比すると、例えば、被告人澤の右調書には被告人若狹から簿外資金の捻出を示唆されたことが本件の発端であるとされているのに、被告人若狹の右調書にはそのような記載はないのであつて、もし同被告人の弁解するように取調検察官が勝手に書いたというのであれば、右のような重要な点をことさら不問に付すなどということは考え難いところであるうえ、冒頭(第一)で述べた諸事情を合わせ考慮すれば、被告人若狹の右弁解は直ちに採用することはできない。

なお、弁護人は、右調書の証拠能力についても前同様(第三・二・4・(二))の理由を挙げて争つているが、その理由のないことは当該主張に対する判断と同旨である。

(三) 被告人植木の検察官調書について

被告人植木は、前記7・1付調書中で極めて具体性に富んだ供述をしているのであつて、しかも記憶にある事実とない事実或いは推測にわたる事項とをそれぞれ明確に区別して供述していることは調書の記載自体からも明らかで、同被告人も当公判廷において、同調書の内容は特に検察官から押しつけられたというわけではないが、金を受け取つたことを認めてしまつたので、経過はどうでもいいという無責任な態度で、多少の記憶と推測に基づいて述べたとも供述しているのであるが(植木(44))、そのような態度で述べるには内容はあまりにも重大である。これに冒頭(第一)記載の諸事情を合わせ考慮すると、被告人植木の右調書の供述内容は十分信用するに足るものと認められる。ただ、同調書中、同被告人が被告人澤に、一五、一六号機の確定購入契約をするについて値引き等の要求をしようと思う旨伝えた際、その場で直ちに同被告人から、本件一〇万ドル相当の金員の提供方をエリオットに交渉するよう指示されたとする部分は、被告人澤が被告人若狹の了解もなくそのようなことを指示するとはにわかに信じ難いところであり、前記澤の7・11付調書の記載に照らし措信できない。

(四) 被告人青木の検察官調書について

被告人青木の前記7・8付調書中には、例えば、本件において受領した金員は二、八〇〇万円である旨記載されているが、もし同被告人の弁解するような方法で調書が作成されたのであれば、右金額についても他の被告人の調書の記載と同様に約三、〇〇〇万円と記載されて然るべきものであつて、前掲被告人澤、同植木の各調書の記載並びに冒頭(第一)に述べた諸事情を合わせ考慮すると、被告人青木の右調書の供述内容は、右の金額の点を除き信用するに足るものと言うべきである。

なお、弁護人は、被告人青木の右調書中には、「稟議書が回つてくる一週間程前及び稟議書が回つてきた直後ころの二回にわたつて澤専務から本件金員の保管方を指示された」との記載があるのに、同被告人の7・1付調書には「本件金員を受け取る一両日前に澤専務からその保管方を指示された」旨記載されており、その供述の変遷については何ら合理的説明がなされていないから、7・8付調書の供述記載は信用できない旨主張するが、右7・1付調書中にある被告人澤の指示と7・8付調書中の二回目の同被告人の指示とは同一のものと考えられる余地が多分にあり、そうだとすると、両調書の間には内容の変更というより、むしろ内容の追加があつたと言うべきであつて、取調の経過により記憶が喚起され、より詳細な内容になることは通常のことであるから、特に右の点をもつて不合理だと言うことはできない。しかも右7・8付調書と被告人澤の7・11付調書の内容が、同被告人の被告人青木に対する右二回にわたる本件金員保管の指示については符合すると考えられること等からすれば、被告人青木の右7・8付調書のこの点に関する記載は十分信用できるのであつて、弁護人の右主張は採用しない。

5右1ないし4のまとめ

以上検討したところを総合すると、被告人らの右各調書の任意性、信用性はこれを認めるに十分であるのに反し、右各調書の記載に反する被告人らの各法廷供述には不自然、不合理な点が多く、信用性に乏しいと言わなければならない。そして、叙上の事実に右各調書の前記引用部分を総合すると、本件に関しては判示第五のとおり認定することができる。

6その余の問題点の検討

(一) 本件金員の提供に関するエリオットの申出について

全日空が一五、一六号機についてロッキード社と確定購入契約を締結するに至つた経緯は判示のとおりであつて、本件金員は、全日空としてロッキード社の財政危機対策に協力するという契約交渉上有利な立場にあつたことを利用してこれを提供させたものであることは、右の経緯から見ても明らかである。

弁護人は、被告人らが積極的に本件金員の提供をエリオットに申し出たものではない旨主張し、その理由として、右確定購入契約は全日空が無理をして契約したのではなく、全日空にとつても有利なものであつたからであるとし、デリバリー・ポジション(一九五〇年引渡)の確保、エスカレーション・メリットの保証、通常確定購入契約締結と同時になすべき購入代金の一部支払についてもその時期を遅らせて八月三一日としたこと等を指摘し、被告人澤も当公判廷において弁護人の右主張に沿う供述をしている(澤(46))。

たしかに、右の諸点は全日空にとつても大きなメリットであることは弁護人指摘のとおりであるが、ロッキード社にとつてテキストロン社からの融資を受けるためには、判示のとおり、一定の時期までに一定の機数について確定購入契約を取ることが絶対の条件であり、弁護人の指摘するデリバリー・ポジションの確保、エスカレーション・メリットの保証も、ロッキード社が確定購入契約を得るため特に全日空に提示した条件であり、一部代金の支払時期を遅らせた点は、ロッキード社の要請に全日空が協力することとしたため、全日空側にをいて提示した条件であり、これをロッキード社が承諾したものであることは証拠上明らかであつて、双方の立場を考えれば全日空が優位にあつたことは明らかであり。右の条件もそのことを端的に示すものに外ならない。

本件金員の提供に関しては、被告人植木は、捜査段階では判示認定に沿う供述をしていたが、当公判廷においては、エリオットの方から二機のファーム・アップに対するお礼として一〇万ドル渡したいと言つてきたように思う旨供述している(植木(42))。

しかし、同被告人は、その検察官調書において、エリオットとの交渉経過について英語による会話の内容をも示して極めて具体的に述べていることは前記のとおりである。被告人植木は、当公判廷において、検察官に対しては調書に記載されているように供述したが、それは当時はエリオットが先行的に申し出たことを思い出せなかつたためで、エリオットとの交渉経過については推測で述べたものであるなどと供述している(植木(44))。

しかし、このようなことはことさら推測で述べなければならないような事柄ではなく、更に同被告人は、当公判廷において、エリオットが先行的に申し出たということを思い出したきつかけは特になく、確信があるわけではないが、公判開始後考えてみたが、本件金員の受領に関しては被告人澤から具体的にいつ、どこで、どのように指示されたか思い出せないし、今までひとりで外人を相手に交渉するということはなかつたからであるとか、澤専務が言い出したものでもないし、自分が言い出したものでもないからエリオットが言い出したのだと思う旨供述する一方、エリオットが先行的に申し出たとすると、澤専務には当然報告しているはずであるが、澤専務にはどう報告したか思い出せないから、エリオットが言い出したというのもおかしいかとも思うなどとも供述し、その法廷供述はあいまい極まるものであつて、到底措信できない。

被告人澤は、当公判廷において、被告人植木の法廷供述に合わせて、契約(昭和四九年七月一八日)後四、五日して、エリオットが実際に金を持つて来る日かその前日に、植木君からエリオットが一〇万ドルをお礼として持つて来たいと言つてきたので貰うことにした旨供述している(澤(46))。

しかし、エリオット証言(二巻)添付の副証二―Aの一九七四年七月一六日付外国送金受領証によれば、同日既に本件金員の手配がなされていることが認められ、エリオットは、「ロッキード社が植木と支払することを合意したのちに金員の手配をした。」旨供述しているから(エリオット証言・三巻)、七月一六日ころ以前に支払の合意があつたとみることができる。そして、合意があれば、当然被告人植木から被告人澤に直ちに報告がなされたと考えられるから、被告人澤のいうエリオットが金を持つて来る日かその前日に被告人植木から報告があつたというのは誤りであり、それよりもかなり早い時期に報告があつたはずである。被告人澤、同植木の各検察官調書の供述内容が十分に信用でき、かつ、被告人植木の右の点に関する法廷供述が信用できないことは前述のとおりである以上、これに符節を合わせる被告人澤の右法廷供述もまた措信することはできない。

エリオットは、「植木に対して我々がデモフライトに関する支払の際にしたのと同じ支払方法(一〇万ドルの日本円による支払のこと)をすることができるだろうかと言つた。」、「一〇万ドルの支払は一機につき二万五、〇〇〇ドルの四機分の広報勘定である。」旨(なお、右外国送金受領証によると一〇万五、〇〇〇ドルとなつているのであるが、エリオット証言によると、五、〇〇〇ドルは領収証の作成費用としてシグ・カタヤマに支払うべきものであつたが、誤つて一〇万五、〇〇〇ドル全額(三、〇三四万五、〇〇〇円)を被告人植木に渡したという。)弁護人の主張に沿う供述をし、更にその支払については「初期の契約書のどれかに記載されている。」と供述し、或いは「非公式な契約と考えており、必ずしも文書化されているとは限らない。」とも言い、文書化されているのかどうかはつきりしない供述をしているが、副執行官の「あなたは、そのときその契約に拘束されていると感じられたか。」との質問に対し、「はい」と答えてこれを肯定し、「すると、あなたがそれに付け加えてされた全日空に対する約束というのは現金でその支払をするというだけか。」との質問に対し、「その通りです。」と答えている(エリオット証言・三巻)。また、右証言中には、「私は全日空からレター・オブ・インテントが出た(昭和四七年一一月二日)のち、全日空関係の勘定を担当し、全日空の企画担当のマネージャーになつた。その時から今(昭和五一年九月一七日、現地時間)から数か月前までの間、私は全日空とのすべての契約に関する交渉や話し合いについて完全に責任を負う立場でした。だからすべての交渉は、私自身ないし私の部下によつて行われた。」旨の記載がある。

そうだとすると、本件金員の支払は、それが公式の契約に基づくものであるか否かに拘わらず、エリオットにとつて本来支払義務があるものと感じていたということになり、エリオットが被告人植木に対し先行的に本件金員の支払を申し入れた旨の前記供述は、それを前提としていると認められるところ、証拠によると、広報関係費用が支払われたのはL―一〇一一の一号機ないし六号機の六機分のみであり、しかもそれは機体価格から値引きされているのであり、一五、一六号機の確定購入契約前の七号機ないし一四号機の合計八機については全くそのような費用が支払われていないのであるから、拘束力あるものとしてそのような取り決めはなかつたものと言わなければならない。そうだとすると、エリオットは、前記のとおり、全日空とロッキード社間のすべての契約に完全な責任を負うべき立場にあつたというのであるから、そのような取り決めの存否について、証言後からわずか数か月前までその地位にあつたエリオットが記憶違いをしているはずはなく、エリオットの右証言は、本件金員の支払は同人が先行的に申し出たものであるとするため意図的に虚偽の証言をした疑いがあり、同人のこの点に関する証言は措信できない(なお、同人の宣誓供述書も右証言の内容を敷衍したものであつて、同様に措信できない)。

以上のとおりであつて、本件金員の支払についてエリオットが先行的に申し出たとする弁護人の主張はこれを採用することはできない。

(二) 被告人青木の共謀について

被告人青木は、捜査段階においては判示認定に沿う供述をしていたが、当公判廷においては、右供述を覆し、「昭和四九年七月下旬ころ、本件金員を受領した当日に植木部長からの電話を受けて応接室へ行つたところ、植木部長が紙包みを示して、あとは頼むと出て行つた。ロッキード社から来た簿外の金だということはわかつた。澤専務に受け取つたことを報告したところ、澤専務は、一五、一六号機のファーム・アップのお礼だろうと言つて、保管を命ぜられた。澤専務からはそれ以前には何の連絡も受けていないし、植木部長から電話で呼び出されるまで何も知らなかつた。」旨供述している(青木(48))。

しかし、被告人青木が、本件金員受領前には被告人澤から全く何らの指示、連絡がないのに、受領後直ちに同被告人に報告をしたというのも不自然であるし、いやしくも経理部長である被告人青木に保管させるのに、事前にいかなる事情による金員であるのか全く説明しないということは通常まず考えられないことであるうえ、さきに認定したデモフライトの件の場合における被告人らの共謀関係、被告人青木の役割、行動等を考慮すると、同被告人の右供述は直ちに信用することはできない。そして被告人澤、同植木及び同青木の前掲各検察官調書の供述内容が信用できることは前述のとおりであり、右各調書の前記引用部分及び右認定の事実等を総合すれば、被告人青木の共謀関係については判示のとおり認定することができる。

なお、弁護人は、被告人青木については本件に関し共謀共同正犯は成立しない旨主張し、その理由として、検察官が同被告人に共謀共同正犯が成立すると主張するのは、被告人澤と同植木との間に本件一〇万ドルを簿外資金として貰おうという相談が行われたのちに受領後の金員の保管を命ぜられ、これに従つたと言うにすぎない事実なのであるから、仮に右事実が認められても共謀共同正犯は成立しないというのである。

なるほど、共謀共同正犯における共謀は、実行行為に関与しなかつた共同者をも共同正犯としての責任を負わせる関係上、特定の犯罪を行うため共同意思の下に一体となつて互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をいうのである(最判昭三三・五・二八刑集一二―八―一、七一八)ところ、当裁判所の認定は、弁護人のいう右検察官の主張と同一であるが、本件はまさに簿外資金を捻出するため被告人ら四名が一体となつて、互いに他人の行為を利用し(本件外為法違反の事実は、簿外資金捻出を目的とするものであるから、受領後の保管は重要な役割である。)、右目的を達することを内容とする謀議をしたものと評価できるから、弁護人の右主張は採用しない。

(三) 本件金員の支払主体に関する被告人澤及び同植木の認識について(ただし、判示第四、第五の事実に共通)

弁護人は、判示第四、第五の事実に共通の主張として、被告人澤、同植木には外為法違反の認識はなかつた旨主張し、その理由として、ロッキード社の場合、東京に自社系列組織が存在し、そこに日本円が経費として、或いはその他の用途のための手許金として保有されているのであろうことは当然予想し得るところ、日本円により贈与がなされても、ロッキード社東京事務所自身の支払として金員が供与された場合は外為法違反の問題は起こらないはずである(判示第五の場合について更に言えば、本件のように販売戦術のために金銭が供与される場合は、受け取る相手方に不安感を与えないで巧みに交付することが必須の条件であつて、本件についても被告人両名は何ら不安感を抱かなかつたのであり、外為法違反の認識はなかつた。)旨主張する

弁護人主張の趣旨は必ずしも明確ではないが、もしその趣旨が、被告人両名において本件金員がロッキード社の支払にかかるものではなく、同社東京事務所自身の支払にかかるものと思つていたというのであるならば、被告人両名には外為法に違反する本件事実の認識はなく、したがつて、犯意が存しないから同法違反の罪は成立しないことになるが、被告人両名が捜査段階においてそのような認識を有していた旨供述した事実は全く窺うことはできないのみならず、判示のように、二、〇七二万円は全日空のL―一〇一一の五号機をロッキード社のためのオーストラリア・デモフライトに使用させたことに関し、三、〇三四万五、〇〇〇円は全日空とロッキード社との一五、一六号機の確定購入契約を早めたことに関し、それぞれ受領したものであつて、いずれもロッキード社がその支払主体であることは明らかであるところ、右各支払が同社東京事務所自身によるものと理解されるような事実は全く窺えないのであるから、被告人両名においても右各支払はロッキード社によるものと認識していた、すなわち外為法違反の本件事実を認識していたことは否定できないのであつて、弁護人の右主張は採用しない。

第五  外為法違反の可罰性について

弁護人は、「外為法は国内経済を保護するための技術法であるところ、我が国経済は、昭和四九年当時強力無比な国際競争力を有していたのであるから、我が国の国内経済を保護するために昭和四九年当時強力な為替制限を加えなければならない必要は毫も存しなかつたのである。また、昭和三九年四月には我が国は国際通貨基金(以下、I・M・Fという。)協定一四条から八条国に移行し、経済協力開発機構(以下、O・E・C・Dという。)条約に加入して、為替制限の自由化を義務づけられ、以後外為法二七条一項は廃止しなければならなかつたものであり、昭和二八年一〇月発効した日本国とアメリカ合衆国との間の友好通商航海条約(以下、友好通商航海条約という。)に基づき、昭和四九年当時は為替管理は自由化しなければならなかつたのであつて、本件のごとき非居住者のためにする居住者に対する円による支払を受領する行為は、これに対し刑罰をもつて臨むべき実質的な必要性は既に存しなかつたもので、したがつて、処罰するに足りる相当性はない。」旨主張する(本件冒頭における弁護人らの公訴棄却の申立の理由も同旨)。

しかしながら、仮に本件のロッキード社のためにする支払の受領となる金員が、弁護人主張のごとく、I・M・F協定、0・E・C・D条約或いは友好通商航海条約によつて自由化されたものと解する余地があるにしても、自由化されていないものを自由化されたもののごとく仮装してなされる行為を規制するための措置として、その支払の受領を許可にかからしめることは為替制限の自由化義務と抵触するものではないから、外為法は右各協定、条約に反するものではない。

また、外為法は昭和四九年の本件各犯行当時においてもなお同法一条の目的(国民経済の復興(なお、復興というのは当時では安定という意味に解せられるべきものである。)と発展とに寄与する。)に沿う効用を有していたことも明らかであるから、本件外為法違反の各行為の可罰性は失われていないと言わなければならない。

第六  判示第六の事実について

一昭和五一年二月一六日の衆議院予算委員会における「大庭社長が在任中、DC―一〇につき何らかの契約をする、例えばオプション契約をするとか、製造番号を押さえるとか、何らそういう疑わしい事実はなかつたと確信している。」旨及び同年三月一日の同委員会における「大庭社長が在任中DC―一〇につき何らかの、例えばオプション契約をしたということは全く了解できない。」旨の各陳述について

弁護人は、三井物産が全日空元社長大庭哲夫の要請により、全日空のためダグラス社にDC―一〇に関するレター・オブ・インテントを発したことや両社間においてその購入契約がなされたことは客観的にも存在しなかつたのであり、また、被告人若狹にはそのような事実が存在するとする認識もなく、当時の同被告人の証言は虚偽の陳述ではなく、偽証にあたらない旨主張する。

1三井物産が大庭の要請によりダグラス社とDC―一〇の購入契約を締結した経緯について

関係証拠(灘波証言(5)、(6)、大庭証言(28)、(30)、昭和五二年押第一四五五号の一中、69―NMD―581〈プロポーザル〉、69―NMD―583〈レター・オブ・インテント〉、69―NMD―583に対する改訂No.2〈レター・オブ・インテント修正書〉、DAC―70―2―E〈購入契約修正書NO.1〉、同押号の二中、69―NMD―589〈代理店契約書〉等)によると、三井物産がダグラス社との間にDC―一〇の購入契約を締結した経緯として判示第六・一・1のとおりの事実を認めることができるが、以下、右の点に関する弁護人の主張のうち主要な論点について判断を示す。

(一) 弁護人は、判示認定に沿う証言をしている灘波清一は、同人が三井物産の社員として、DC―一〇の売り込みに失敗したことに責任を感じていたため、三井物産に不利益な供述を極力避け、検察官の主張に沿つた供述をしており、その供述の信用し難いことは明らかである旨主張するが、同人の供述は極めて具体的であり、弁護人の厳しい反対尋問にもよく堪え、加えて関係の種々の契約書等客観的証拠の内容とも何ら矛盾していないのであつて、右供述が不合理であるとしこれに疑いをさし挾むべき事情は何らこれを認めることはできず、右供述は十分に信用することができる。

(二) 更に、弁護人は、三井物産とダグラス社との間に締結されたDC―一〇の購入契約(以下、本件契約という。)は、大庭の要請によるものではなく、三井物産の責任と計算においてなされたもの、すなわち、三井物産の思惑買いであつた旨主張し、その理由として左の諸点を挙げるが、いずれも採用できない。すなわち、

(1) ダグラス社の三井物産に対する前記昭和四四年七月二五日付プロポーザル(前同押号の一中、69―NMD―581)中に、「日航が同年七月末までにDC―一〇を購入することとなつた場合、三井物産へ引渡されるべき確定発注の三機、オプション機四機の引渡時期は再検討されるものとし、代わつて昭和四八年春に運航可能な航空機を価格条件も調整のうえ供給する。」旨の日航優先条項が明示されていたから、本件契約は、第一に日航を優先させることを目的としたものであつて、全日空のためになされたものではないというのであるが、右灘波証言(6)等によれば、右条項は、ダグラス社が三井物産に対し右プロポーザルを提示した時点において、日航が判示のようにDC―一〇を購入する可能性は皆無に等しかつたものの、なお万一の事情の変化を考慮して、ダグラス社が日航に期限を昭和四四年七月三一日とするプロポーザルを提示していた関係から、念のために記載したものに過ぎないことが認められ、右条項の存在は、本件契約が大庭の要請とは無関係な三井物産の思惑買いであるとの根拠とはならない。

(2) 三井物産がダグラス社に発した昭和四四年七月二五日付(三井物産の署名は同月二九日付)レター・オブ・インテント(前同押号の一中、69―NMD―583)中に、「ダグラス社は三井物産が本航空機の購入契約の全条件を不特定の定期航空会社(ア・スケジュールド・エアライン、a scheduled airline)に譲渡する権利を有することに同意する。」旨の記載があるから、三井物産において不特定の航空会社に転売することを予定したものであつて、本件契約は、全日空のためになされたものではないというのである。

しかしながら、三井物産としては、大庭の依頼により、その言を信じてダグラス社と本件契約を締結したものの、将来万が一にも全日空がDC―一〇を購入しない場合を慮り、ダグラス社との間に全日空以外にも契約上の地位を譲渡し得る権利を留保するのはむしろ当然であり、したがつて、右条項で契約上の地位を譲渡し得る先として全日空が除かれているのであればいざ知らず、同社も含まれている以上、右条項があるからといつて三井物産が大庭の依頼により全日空のため(その法律的性質はともかく事実上)ダグラス社と本件契約を締結した事実を否定する根拠とはならない。そして、右灘波証言及び昭和四四年七月二九日付(三井物産の署名は同月三一日付)の三井物産とダグラス社間の代理店契約書(前同押号の二中、69―NMD―589)等によると、三井物産は、全日空に対してのみ販売交渉の代理権を有し、右レター・オブ・インテントは右代理店契約を前提とするものであつたことが認められ、これによると、右「ア・スケジュールド・エアライン」とは、当面全日空を指すものであることは明らかであるから、いずれにしても右条項の存在は弁護人の主張を裏付ける根拠とはならない。

(3) ダグラス社と三井物産との間の昭和四五年一月三〇日付合意書(前同押号の一中、70―NMD―100)中に、「ダグラス社は、三井物産が購入し又はオプションした全航空機を、全日空及び日航両社に対して売却の申し込みができる。」旨の記載があるから、本件契約は、日航のためにもする契約であつて、全日空のためにのみなされたものではないというのであるが、灘波証言(138)等によると、右合意書が取り交わされたのは、当時日航及び全日空両社の話し合い如何によつては同一型の航空機を両社が共同購入すること等も予測されたところから、ダグラス社は、日航に対してもなお申し込みをなし得る形をとることを希望し、三井物産側も当時の日本の航空業界の状況及び両航空会社の両社長が同じ運輸省の出身であり、共に日航に勤務した仲であつたことなどから、日航に対しても申し込みをなし得ることとしても、日航が一方的に購入を申し込み全日空に損害を与えるようなことは想定できず、両社長が協議し両社納得のうえ購入を決定するものと判断したため、三井物産においてダグラス社の右希望を了承したものであることが認められるから、右条項の存在も、本件契約が大庭の要請とは無関係な三井物産の思惑買いであるとの根拠とはならない。

(4) 昭和四五年二月二日付三井物産とダグラス社間の購入契約における確定発注の機数が四機であつたのに、同年一一月三日付の右両社間の購入契約修正書No.1(前同押号の一中、DAC―70―2―E)によつて六機に変更されているところ、右増機については全日空には一切その旨の連絡がなく、したがつて、全日空の承認もなかつたことは証拠上明らかであるから、かかる行為をなすことは本件契約が全日空のためになされていなかつたためであるというのである。

なるほど、弁護人主張のとおり、三井物産において全日空に連絡することなく確定発注機数を増加させている事実が認められるが、灘波証言(5)及び石黒規一の検察官に対する昭和五一年五月二八日付供述調書等によれば、本件契約におけるオプション機中二機の発注期限が同四五年一〇月末となつているところ、当時既に大庭は全日空を退任しており、同社内には大庭のかつての経営方針に反対する雰囲気が強かつたことから、同人の要請により三井物産においてDC―一〇を確保していることを前面に押し出して契約の移行を交渉することは商売上不利になると考え、かつは全日空がDC―一〇を選定することは必至であるとの見通しに立つて、三井物産は全日空に無断で右二機につきオプション権を行使したことが認められるのであつて、本件契約締結当時、大庭において二〇機以上を購入する予定である旨述べていたことは判示のとおりであり、三井物産として全日空が当然追加の右二機をも購入するのであろうと予想しても何ら不自然ではない状況にあつたのであるから、三井物産が弁護人主張のような措置をとつたとしても、本件契約が大庭の要請とは無関係に三井物産が思惑買いをした結果であるということにはならない。

(5) 三井物産は、昭和四四年七月二九日、ダグラス社に対しDC―一〇を三機確定発注する意向がある等の内容を有する前記レター・オブ・インテント(前同押号の一中、69―NMD―583)を発し、同年八月六日、米国三井物産をして三億六、〇〇〇万円という巨額の前渡金をダグラス社に支払つているのであるが、この支払につき三井物産において常務会の決議を経た形跡は見当たらないのであつて、このことは本件契約の不明瞭性、すなわち、思惑買いを示すものであるかのようにいう。

なるほど、弁護人主張のように、右支払につき三井物産において当時常務会の決議を経た事実は窺えないが、灘波は、この点について、当公判廷において、「こういう秘密みたいなこと、全日空の社長にも迷惑がかかるかも知れないといういろんなことを含んでおりますし、為替の操作とかいろんなことございますし、オープンにかけないですから、私は通常の定例常務会みたいなフォーマルなものにかかつてないと認識しています。だけど常務会と同じ経過を経て金が支払われておりますから、これで間に合つております。」と証言しているのであつて(灘波証言(138))、右証言は、大庭証言(28)等によつて認められる、大庭において、全日空社内でDC―一〇を選定するとの意思が統一され、正式発表が可能になるまで事を内密に運ぶ意図であつたこととも符合し、十分信用できる。。したがつて、弁護人主張のような事実の存在は、本件契約が三井物産の思惑買いであるとする根拠とはならないと言わなければならない。

(6) 昭和五一年三月当時、三井物産宇宙航空機部に勤務していた大橋英世が、本件契約について、「米ダグラス社DC―一〇旅客機の商内に関する経緯について(概要)」と題する書面の中で、「昭和四四年の夏、全日空大庭社長のダグラスDC―一〇を採用したいとの強い希望を知つた当社若杉社長は、全日空が買うことはほぼ間違いないと判断し、また、そのときの大庭社長の希望する納期の確保も重要であると考え、更に一般状勢からもDC―一〇は世界の他の国へ売れる機種でもあつて利益になる商内であるということから、このDC―一〇の購入を決意し、ダグラス社あて契約をする。」と記述していることをもつて、本件契約は三井物産の思惑買いであつたというのである。

しかし、右記述は、その表現がややあいまいであるが、前記大庭、灘波各証言によつて認められる事実に照らせば、その前段の部分(「……と考え」まで)は、その中に「大庭社長の希望する納期の確保も重要であると考え」とあることに徴しても、三井物産の社長である若杉が大庭の依頼により全日空のためにダグラス社と契約をしたという趣旨に読みとることもできないではなく、また、後段の部分(「更に」以下)は、万が一にも全日空が購入しないこととなつた場合でも、他へ売却することにより三井物産の損失を防止できると考えたという趣旨を、若杉社長の立場を配慮して強調したものとも読みとれるのであつて、いずれにしても単に右のような記述があるからといつて、弁護人の右主張を肯定する根拠とは到底なし難い。

2被告人若狹の認識について

そこで、被告人若狹において、右に認定した三井物産のダグラス社に対するDC―一〇発注の経緯に関し、いかなる認識を有していたかを検討する。

(一) 昭和四五年六月初めころ、被告人若狹が渡辺尚次から「大庭社長との合意により、三井物産が全日空のためダグラス社にDC―一〇を発注した。」旨の報告を受けた事実について

(1) 右事実に関しては、被告人若狹の9・5付調書(一一一丁のもの)中に、「昭和四五年六月一日大庭社長のあとを受けて私が全日空社長に就任したが、それから間もなくのころ、渡辺専務が、大庭さんの社長時代に三井物産とダグラス社との間に何か契約があつたらしい。そして大庭社長がその契約の場にいて何か関係しているということですと報告してきた。」、「そして大庭社長は、当時この契約に何らか関係していることについて、調達施設部長の松田功君に対してだけは打ち明けていたところ、肝心の大庭さんが退任されてしまつたので、契約担当の松田君としてもその処置に困つてしまい、渡辺君に打ち明けたということであつた。」、「私はこの話を聞いて、これは大変なことだと思いました。」旨の供述記載がある。

ところが、被告人若狹は、当公判廷において右自白を覆し、渡辺から右のような報告を受けた事実はない旨供述している。しかし、被告人若狹の右調書を除いたその余の証拠(灘波(5)、松田(19)、松田功の検察官調書、渡辺尚次の8・22付調書等)によつても判示第六・1・(二)・(1)の事実を認めることができるのである。

弁護人は、右認定の事実を裏付ける右松田及び渡辺の検察官に対する各供述調書にはいずれも信用性がない旨主張し、当公判廷において、松田功は、右調書中で渡辺に打ち明けたと述べたのは、取調検察官の誘導によつて、もし私が打ち明けたとすればこういう内容だろうという意味で述べたものである旨(松田(19))、渡辺は、松田から右のように打ち明けられたことはなく、被告人若狹に右のように報告したことはなかつたが、取調検察官から、「若狹は、大庭が三井物産を通じてダグラスを押さえているという風評を渡辺から聞いたと言つているが、どうか。」と何回も聞かれ、そのようなことは記憶にないと言つたが、その話に合わせないと、被告人若狹が検察官に追及されて苦労するだろうし、また、自分の保釈も延びるのではないかと心配し、松田から本件発覚後の昭和五一年六月当時聞かされたことを、同四五年六月当時聞かされたというふうに話を作つて取調検察官に述べたものである旨供述している(渡辺(61))。

しかし、右両名が、議院証言法違反で告発されている被告人若狹の刑事責任に重大な影響を及ぼすことが明らかな右のような事実を安易に推測で述べたり、虚構を作為して述べたりするなどということは、事柄の性質上到底信用し難いところであるうえ、右各調書の供述内容は、詳細、かつ、具体的であつて、十分に信用し得るものというべきである。

なお、弁護人は、渡辺の右調書の証拠能力をも争つているので付言しておく。

弁護人は、「渡辺の右調書は、同人が議院証言法違反で起訴されたのちの取調に基づき録取されたものであつて、証拠能力がない。すなわち、渡辺は、昭和五一年七月三一日、自己の議院証言法違反事件で起訴されたのち、参考人として取調を受けて右調書は録取されたものであり、取調を担当した検察官石川達紘も、渡辺を被疑者として取調べたものではなく、参考人として取調べたものであると供述している(石川(98))。ところで、参考人の取調は任意捜査としてのみ許されるべきものであり、その場合、捜査官の出頭要求に応ずる義務はなく、これを拒むことができるし、また、いつたん出頭しても、いつでも自由に退去することができるものであるから(刑訴法二二三条二項、一九八条一項但書)、捜査官は取調にあたり参考人に対し予めその旨の告知をすべきであり、その手続を経てなおかつ勾留されている者が取調に応じたときのみ任意の取調が正当化されるというべきであるところ、そのような告知をした形跡のない本件渡辺の取調は違法であり、また、そもそも起訴後の取調は違法である旨主張する。

なるほど、弁護人主張のように、渡辺は起訴後に取調を受け、それが実質上参考人としての取調であつたことは右石川証言によつて認められ、また、参考人が捜査官から出頭を求められた場合にこれを拒み、或いは、出頭後いつでも退去できること、すなわち、取調受忍義務がないことは刑訴法上明らかである。しかしながら、捜査官において参考人を取調べるにあたり、予めこれに対し取調受忍義務がないことを告知すべきことは規定されていないうえ、本件において渡辺が出頭を拒み、或いは、出頭後退去を求めたのに捜査官がこれを無視して右取調をしたことの形跡も窺われないのであるから、弁護人のこの点に関する右主張は採用できない。また、弁護人は、そもそも起訴後の取調は違法であるとも主張しているが、右主張の点が問題とされるのは当該起訴事実に関して取調を行つた場合であるから、右主張が失当であることは明らかである。

(2) そこで、次に被告人若狹の前掲調書の信用性について検討する。

被告人若狹は、当公判廷において、右調書が作成された状況について、「取調検察官から、大庭社長が何かやつたのではないかという噂をだれかから聞いたかと尋ねられ、記憶にはなかつたが、渡辺が私の部屋に入つて来る回数が多かつたので、或は渡辺かも知れないと答えたところ、渡辺はだれから聞いたのかということになつて、結局松田の国会証言等の内容から類推して、松田でないでしようか、と述べたに過ぎないのに、検察官は右のような調書を作成したのである。」旨供述している(若狹(86))。

しかし、右調書の供述内容は、後述する昭和四五年五月二九日の大庭の社長退任の際の同人から被告人若狹へのいわゆる事務引継ぎの事実は存在しないことが前提となつているところ、右事務引継ぎの事実の存否は、弁護人がその弁論要旨(三八五頁ないし三八六頁)において「仮に大庭社長退任に際しての事務引継ぎを被告人若狹が認識しているならば、検察官としては、その余の被告人若狹において大庭社長が三井物産のDC―一〇購入契約に関与した事実を認識し得たとするための諸事実を主張、立証する必要のなかつたことは明らかであり、検察官、弁護人がこれまでの公判期日の大半を費して立証してきたことはすべて無駄な努力であつたものと言わざるを得ない。」と述べているように、本件において極めて重要な争点である。ところが、この点に関しては取調検察官の山邊力が当公判廷において、大庭が被告人若狹らに右事務引継ぎをしたと供述している事実を告げて被告人若狹にその点の質問をしたが、同被告人がこれを否定したので、更に尋ねることもせずその先へ質問を進めたと供述している(山邊(101))とおり、結局被告人若狹が否定するまま右事実についての調書は作成されていないことからみても、同被告人の前記調書は同被告人の供述するとおり記載されているものと認められるうえ、その内容において不自然、不合理な点はこれを見出せず、また、同調書の前記引用部分は、既に検討した他の証拠によつて認められる事実とも符合しているのであつて、右引用部分は十分信用できるものと言うべきである。

なお、弁護人は、右調書の証拠能力も争つているので付言する。

弁護人は、「右調書は違法な取調に基づき録取されたもので証拠能力はない。すなわち、被告人若狹は、判示第四、第五の外為法違反並びに判示第六の議院証言法違反の各被疑事実によつて昭和五一年七月八日逮捕、同月一〇日勾留され、右各外為法違反の事実については同月二八日付で起訴されたが、同日判示第三の外為法違反の被疑事実により再逮捕、引き続き二〇日間勾留され、同外為法違反の事実についても同年八月一八日付で追起訴されたのであるが、右調書は起訴後の勾留中に録取されたものである。そうすると、右の経過から明らかなように、検察官は、昭和五一年七月八日、被告人若狹を議院証言法違反の被疑事実でその身柄を拘束したにも拘わらず、その取調をせず、二〇日間の勾留期間を徒過し、その後になつて他の事実についての起訴後の身柄拘束状態を利用してその取調を行い、調書を作成したものであつて、このことは憲法三三条の令状主義に違反し、かつ、勾留期間の制限を潜脱するものであつて違法であり、また、起訴後の右勾留期間中は、被告人若狹において議院証言法違反の事実についての取調受忍義務はないのであるから、その受忍義務のないことを明確に告知して取調べるべきであり、それでもなお任意に供述したのであればともかく、そのような人権保障の手続をとつたことの認められない本件においては、右取調は違法である。更に、被告人若狹は、昭和五一年七月八日に逮捕されて以来同年九月六日保釈されるまで六一日間身柄を拘束された。その間の取調状況からすれば、少なくとも判示第三の事実に関する自白調書が作成された同年八月三日の翌日である同月四日以降の身柄拘束はその理由がないことは明らかであるから、右調書は不当に長く拘禁されたのちの自白を録取したものとして憲法三八条二項、刑訴法三一九条一項に牴触する。」旨主張する。

なるほど証拠によると、右9・5付調書が録取されるまでの被告人若狹の身柄拘束に関する時間的経過は弁護人指摘のとおりである。しかしながら、所定の勾留期間内に或る被疑事実の捜査を遂げてこれを起訴できなかつた場合、その後において右被疑事実に関し被疑者の取調をすることは、それが任意捜査である限り何ら差支えないところである。本件において被告人若狹に対する議院証言法違反の事実に関する右取調が同事実の勾留期間経過後に他の事実の起訴後の勾留中になされても、それが任意捜査であれば何ら令状主義に違反するものではない。ところで、任意捜査の場合被疑者についてもいわゆる取調受忍義務がないことは刑訴法上明らかであるが、捜査官において被疑者の取調にあたりそのことを予め告知すべきことは規定されていないうえ、本件において被告人若狹が右取調に際し出頭を拒み、或いは、出頭後退去を求めたのに捜査官がこれを無視して右取調を行つた形跡は窺われないのであるから、右取調は何ら違法ではない。

また、判示第三ないし第五の各事実については。被告人若狹と他の各共犯者との関係、犯行態様、事件の背景等を考えれば、右各事実に関し同被告人や各共犯者の自白調書が作成されていたとしても、なお同被告人が各共犯者と相通じて真相を曲げる等罪証を隠滅する虞れがあつたことは否定できないところであり、右各事実の起訴後においても、同被告人に勾留の理由があつたものと言わなければならないから、この点に関する弁護人の前記主張もまた理由がない。

以上検討したところによれば、被告人若狹において、国会証言時に、昭和四五年六月初めころの渡辺尚次の報告により大庭の要請を受けて三井物産がダグラス社に対しDC―一〇を発注した事実を認識していたことは明らかである。

(二) 昭和四五年七月ころの被告人若狹と三井物産社長若杉との会談について

証拠(若狹(86)、石黒規一の5・28付調書)によると、昭和四五年七月ころ、三井物産の若杉らが被告人若狹の社長就任の表敬のため全日空を訪問した際、被告人若狹が若杉らに、DC―一〇について大庭前社長が何かしたのか、全日空に法律的、道義的責任があるかどうかと尋ねたところ、若杉は、大庭前社長は何もしていない、全日空には法律的にも道義的にも責任はない旨を答えたことが認められる。

弁護人は、右事実は、若杉社長が三井の責任者として、三井とダグラス社とのDC―一〇発注の取引が全日空とは関係なく行われた当然のことを言明したものである旨主張する。

しかし、既に認定したように、当時全日空社内には大庭のかつての経営方針に反対する雰囲気が強かつたため、三井物産としては大庭との約束を前面に出して交渉することは全日空との友好関係を維持するのに好ましくないばかりでなく、大庭との確約を持ち出さず正攻法による販売活動によつても、全日空にDC―一〇を買い取らせることは容易であると判断していたところから、若杉において右のような答えをしたことが認められる。そして、被告人若狹も9・5付調書中で、「三井物産とダグラス社との契約に大庭社長が何らかの関与をしていたのであるから、若杉社長は私に対し、全日空の社長から頼まれたから三井物産がダグラス社と契約し、全日空のために手を打つているので全日空で責任を取つてくれと言うものと思つていた。ところが、若杉社長は正直に大庭社長との約束の内容を話してくれなかつた。それは、当時三〇〇人乗り程度の旅客機としてはDC―一〇とL―一〇一一が挙げられていたが、三井物産は、この時期に全日空がこの三〇〇人乗り程度の機種を決めるとすれば、DC―一〇を選ぶ以外にないと考えて、私が長年の役人生活で身についている感覚で、責任問題で問い詰めたのに対し、若杉社長は、商人的な感覚で、円満に全日空へDC―一〇を引き取らせるには大庭社長との約束を強く前面に出さない方が得策だと考えたからだと思つた。私は、全日空としては大庭社長の行動に関係なく新機種を決めたいと考えていたので、若杉社長の右の言葉を楯にとつて三井物産と大庭社長との約束は無視しようと考えた。」旨供述している。また、渡辺も前記8・22付調書中で昭和四五年七月下旬ころ、被告人若狹から若杉との会談内容を聞いた感想として、「若杉社長が法律的にも道義的にも責任がないと言つたのは、本心は本当にそう思つて答えたとは思われない。大庭社長との関係を持ち出して相手を束縛するような言い方をするよりも、どうせDC―一〇に決まると判つているのなら、むしろ若狹社長にすつきりした形で意思表示をさせた方が利口なやり方だと考えたのだと思つた。商売をやつて行く人なら当然そのくらいの頭を働かせると思つた。」旨供述している。そして、右各調書の信用性はこれを肯定すべきものであることは既に述べたとおりであるが、更に付言すると、被告人若狹の9・5付調書について述べたと同様に、大庭の事務引継ぎの有無について、渡辺を取調べた検察官石川達紘が、当公判廷において、捜査段階で右事実の有無を渡辺に質問したが、同人は右事実の存在を否定したと証言(石川(98))しているとおり、渡辺の右調書には右事務引継ぎの事実の存在は記載されていないことからしても、右調書は渡辺の供述するまま記載されたものと認められ、その信用性を認めるに十分である。

よつて、この点に関する弁護人の主張は採用しない。

(三) 昭和四六年末ころ、被告人若狹が渡辺尚次から「昭和四五年三月ころ、大庭社長、三井物産若杉社長及びダグラス社マックゴーエン副社長の三者合意により、三井物産が全日空のためダグラス社との間にDC―一〇の購入契約を締結した。」旨の報告を受けた事実について

右事実に関しては、被告人若狹は、前記9・5付調書において渡辺から判示のような報告を受けた事実を認めていたが、当公判廷において右自白を覆し、渡辺から右のような報告を受けた記憶はない旨供述している(若狹(87))。しかし、被告人若狹の右調書を除いたその余の関係証拠によつても判示第六・一・(二)・(2)の事実及び渡辺の報告を受けた被告人若狹は、「前に若杉社長から全日空に責任がないとの言質を取つている人だし、大庭さんが書類を残すような頼み方をする人じやないから放つておけばよい。」旨答えた事実を認めることができる。

被告人若狹は、右9・5付調書は検察官がいろいろ調べて勝手に書いたものである旨供述しているが(若狹(87))、右調書の記載が信用すべきものであること及び証拠能力を肯定すべきものであることは前述のとおりである。

而して、右認定の事実に被告人若狹の右調書の供述記載を総合すれば、被告人若狹は、前記認定のとおり、昭和四五年六月ころ渡辺から報告を受けて前記認識を有していたところ、同四六年末ころ渡辺から再度右のような報告を受け、右三社長の合意により三井物産が全日空のためダグラス社との間にDC―一〇の購入契約を締結した事実及び三井物産はダグラス社に対し、DC―一〇を昭和四七年度引渡分として四機を確定発注し、その後引渡予定分として六機をオプションしていることを理解したものと認められる。

(四) 昭和四五年五月二九日の被告人若狹と大庭とのいわゆる事務引継ぎについて

検察官は、昭和四五年五月二九日、被告人若狹が大庭とのいわゆる事務引継ぎの際、同人の話により、「三井物産が大庭社長との合意に基づき全日空のためダグラス社にDC―一〇を発注した」との事実を認識したと主張し、大庭は、当公判廷において、昭和四五年五月二九日、全日空社長室で、被告人若狹及び渡辺に辞任することを伝えた際、三井物産との間で社長単独でDC―一〇を発注した格好になつていると話して善処方を依頼した旨証言しているところ(大庭(28))、大庭は、被告人若狹らに右の話をしたことを、昭和五一年三月一日の衆議院予算委員会における被告人若狹との対質尋問や当公判廷における弁護人らの執拗な反対尋問に対しても明確に供述していることなどからしても、右大庭証言は十分に信用できるというのである。

たしかに、大庭が証人として右のような事実を証言していることは検察官が指摘するとおりである。しかしながら、被告人若狹、渡辺は、捜査段階において種々自己に不利益な事実を供述していることが認められるのに、右の内容の引継ぎがあつたことについては一貫してこれを否定していることと、大庭は、翌日(昭和四五年五月三〇日)の株主総会を控えていわゆるM資金問題で社長辞任を余儀なくされ、辞任の意思を被告人若狹らに伝えた際の状況も決して平常な状態ではなかつたことが証拠上看取されること等を総合すると、右大庭証言にはなお疑問の余地があり、他に右引継ぎの事実を認め得る証拠はないから、結局引継ぎの事実の存在は認めることはできない。

3各衆議院予算委員会における被告人若狹の陳述についての具体的検討

(一) 昭和五一年二月一六日の衆議院予算委員会における「大庭社長が在任中DC―一〇につき何らかの契約をする、例えばオプション契約をするとか、製造番号を押さえるとか、何らそういう疑わしい事実はなかつたと確信している。」旨の陳述について

衆議院予算委員長荒舩清十郎(以下、荒舩委員長という。)作成名義の告発状添付の第七七回国会衆議院予算委員会議録第一四号(昭和五一年二月一六日の証言を収録したもの。以下、第七七国会議録第一四号という。)一七頁によると、被告人若狹は、楢崎弥之助委員によつて質問が行われた際

(イ) 「昭和四五年二月に(米国へ調査に)行かれて、大体それから時間を置かずに、DC―一〇のオプションと申しますか、いわゆる製造ナンバーを二、三機押さえられたという事実はありませんか。」との質問に対し、「そういう事実は全くございません。」と答え、

(ロ) 「当時はあなたは副社長でありました。では、大庭社長がやられたという事実はありませんか。」との質問に対し、「そういう事も全くないと私は信じております。と申しますのは……(三井物産の社長らを呼んで)過去にいろんなことを言われておりますけれども、全日空について何か責任はありましようか、法律的な責任はありますか、いや、それはありません、それでは道義的な責任はありますか、いや、それももちろんありませんということを確かめております。したがつて、私はそういう風評は一部に流れたことを知つておりますけれども、現実問題としては何らそういう疑わしい事実はなかつたというふうに確信しております。」と答え、

(ハ) 「そうすると、大庭社長が独断で、あなたにも相談せずにそういうことをなされたということがあるかもしれないとお思いですか。」との質問に対し、「私は、そういう事実も恐くなかつたろう、ただ大庭社長としては適当な機材をやはり押さえておきたい、できるだけ早く輸入したいというようなお気持ちは持つておられたのじやないかというふうに推測はいたします。しかし、現実の行動として何らかの契約をする、例えばオプション契約をするというような事実は全くなかつたことだけは明確でございます。」と答えていることが認められる。

検察官は、冒頭陳述において、以上の被告人若狹の証言をもつて冒頭記載の虚偽の陳述をしたと主張している(冒頭陳述書一八四頁ないし一八五頁)。

(1) これに対し、弁護人は、(イ)の質問は、その文言上明らかなとおり、被告人若狹の経験事実として被告人若狹自身が昭和四五年二月ころDC―一〇のオプションをしたことがあるかという趣旨であることは明らかであり、被告人若狹もそのとおり理解した、しかし、同被告人自身は何らそのようなことを行なつたことがないのであるから、右陳述は、被告人若狹の認識に反するものではない旨主張し、被告人若狹も当公判廷において、「私が、何か、製造番号を押さえたという質問であろうかと思い、右のように証言した」のであつて、証言当時の認識或いは記憶に反するものではない旨弁解している(若狹(92))。

たしかに、右質問中には、右製造番号を押さえた主体がだれであるかを明示していないのであるが、被告人若狹の右を(イ)の証言に続いて、「大庭社長がやられたという事実がありませんか。」との質問が続くことからみると、楢崎委員の質問は、被告人若狹が供述するように、被告人若狹自ら製造番号を押さえた事実はないかという趣旨で発問をしたものと考えられ、被告人若狹もこれに対応して証言したものと考えられるのである。そうだとすると、全証拠によつても被告人若狹自身がDC―一〇の発注に関与した事実は認められないのであるから、右陳述を偽証と認めることはできない。

(2) 次に、弁護人は、(ロ)の質問は、(イ)の質問に対する答えを受けて、昭和四五年二月ころ、被告人若狹がオプションしたことがないのであれば、大庭がオプション(いわゆる製造ナンバーを二、三機押さえること)したことを知つているか、その時被告人若狹は副社長なのであるから、社長である大庭の行為を知ることができたのではないかという趣旨に被告人若狹は理解し、右のころ、大庭がオプションしたという認識を被告人若狹はもつていなかつたから、(ロ)のように証言したのであつて、右証言は、被告人若狹の認識に反するものではない旨主張し、被告人若狹も当公判廷において、弁護人の質問に対し右と同旨の弁解をしている(若狹(92))。

しかし、右弁解の趣旨は、楢崎委員の右質問は、大庭の行為を昭和四五年二月ころに限定し、そのころ被告人若狹はそれを知ることができたのではないかという意味に理解して答えたというもののようであるが、被告人若狹は、弁護人の右質問に先立つ検察官の質問に対しては「大庭社長が全日空のためになさつたということは全くないと理解していたわけである。」旨答える等(若狹(87))、右日時に限定して同委員の質問を理解していた形跡はないのであり、かえつて、この点に関しては検察官の「楢崎委員から、大庭社長当時DC―一〇のオプションというか製造ナンバーを二、三機押さえたという事実はないかと、こういう質問があつて、そういう事実は全くないとこういう証言をされていますね。」との質問に対し、被告人若狹はこれを肯定している(若狹(87))ところからみて、被告人若狹は、楢崎委員の質問を「大庭が社長在任中にDC―一〇をオプションしたことを証言時に知つているか」という意味に理解していたものと解されるから、弁護人の右主張及び被告人若狹の右弁解はいずれも採用することはできない。

ところで、更に弁護人は、右質問にいう「オプション」、或いは「製造ナンバーを押さえる」という意味について、被告人若狹は、「オプション」というのは本契約に付随して締結される航空業界における通常形態のものを意識していたのであり、「製造ナンバーを押さえる」という言葉にいたつては、航空業界において一般的な用語として存在するとは思つていなかつたのであつて、被告人若狹が右のように、その事実を否定したことは偽証にあたらない旨主張し、被告人若狹も当公判廷において同旨の弁解をしている(若狹(92))。

しかしながら、右会議録における楢崎委員の質問及びこれに対する被告人若狹の答えを全体として素直に読めば(特に同被告人が「私はそういう風評は一部に流れたことを知つておりますけれども、現実問題としては何らそういう疑わしい事実はなかつたというふうに確信しております。」、「現実の行動として何らかの契約をする、例えばオプション契約をするというような事実は全くなかつたということだけは明確でございます。」などと述べている点)、同委員の質問は、「大庭が社長在任中に、全日空においてDC―一〇の引渡を受ける権利を確保するため、何らかの手を打つたことを知らないか。」という趣旨のものであり、同被告人も右質問を右趣旨のものと理解し、これを否定する答えをしている(しかも、大庭が「三井物産を通じて」右のような手を打つたことがないということにまで自ら進んで言及している。)ことが容易に看取されるのである。したがつて、被告人若狹において「オプション」という言葉を航空業界における通常の用語として理解していたかどうか、「製造ナンバーを押さえる」という言葉が航空業界において一般用語として存在しているかどうかは、被告人若狹の質問の趣旨に対する理解とは無関係のことと言わなければならない。そして、既に検討したように、被告人若狹は、大庭が社長在任中全日空のためDC―一〇を確保すべく三井物産を通じて判示のような措置をとつたことを知つていたのであり、それにも拘わらず、右のようにこれを否定する証言をしたのであるから、右証言は偽証にあたると言うべきである。

(二) 昭和五一年三月一日の衆議院予算委員会における「大庭社長が在任中DC―一〇につき何らかの、例えばオプション契約をしたということは全く了解できない。」旨の陳述について

第七七回国会衆議院予算委員会議録第二〇号(昭和五一年三月一日の証言を収録したもの。以下、第七七回国会議録第二〇号という。)二四頁によれば、荒舩委員長の「あなたは、大庭社長と飛行機の購入について全く意見が異なつていた。すなわち、大庭前社長は、ダグラス社のDC―一〇の仮契約をしており、あくまでもDC―一〇の購入を主張して譲らなかつた、こう言われております。これに反してあなたは、これにはあくまでも反対の立場をとられておつた。……これらの点について、納得のいく説明を願いたいと思います。」との質問に対し、被告人若狹は、「先日の証言でも申し上げましたとおり、……その間に何らかの、例えばオプション契約があつたという新聞の報道がございますが、そういうことはわれわれには全く了解できないことでございます。」と答えていることが認められる。

右陳述も、前記(一)と同様、大庭が社長在任中に、全日空においてDC―一〇の引渡を受ける権利を確保するため、何らかの手を打つたということは全く了解できない旨を答えているものと認められ、したがつて、前記(一)と同一の理由により偽証にあたるものと解すべきである。

なお、弁護人は、右質問は、被告人若狹の意見の陳述を求めるものであるところ、被告人若狹が経験した特定の事実の存否についての質問とは言い難く、証人として証言すべき事項に該当するか極めて疑いがある旨主張する。

しかし、右質問は、被告人若狹の意見を求めたものでないことは、質問自体から明らかであるから、弁護人の右主張は理由がない。

二昭和五一年二月一六日の衆議院予算委員会における「三井物産がダグラス社に対し全日空のためにDC―一〇を仮発注したと思つていないし、仮に仮発注の事実があつたとしても、それは全く全日空に無関係であつたと考えている。」旨の陳述について

1第七七回国会議録第一四号二二頁によると、河村勝委員の「あなたが社長に就任されたのは昭和四五年の五月ですね。社長になられた当時、この仮発注というものの性格、法律的な性格は別として、そういうものが存在して、現にアメリカにおいて三井物産がこれはたしか十機仮発注したのだと思いますが、そういうことが存在するという事実は知つておられましたか。」との質問に対し、被告人若狹は、「そういう仮発注が行われたとは私は思つておりません。思つておりませんが、ダグラス社におきまして、見込み生産というものをやつた可能性はあるんじやないだろうかというふうに私は思つております。……全日空はそれには全く無関係であつたというふうに考えております。」と答えていることが認められる。

2弁護人は、右質問の趣旨は、「全日空との関係には触れることなく、単に三井物産とダグラス社との間に何かあつたのではないか、あなたはそれを知つているのか。」という質問であつたが、被告人若狹としては、全日空との関係を質問されていると理解し、右のように証言したのであるから偽証にあたらない旨主張し、被告人若狹も当公判廷において、同旨の供述をしている(若狹(87))ほか、弁護人の質問に対し、自分が社長就任当時には右のような情報はなかつた旨の弁解もしている(同(92))。

たしかに、右質問の文言及び被告人若狹の右答えに対し河村委員が「私はまだ全日空との関係を聞いているのではありません。……」と言つていることからも、右質問の趣旨は、弁護人の主張するように、三井物産とダグラス社間の関係のみを尋ねていることは明らかである。

しかし、既に認定したように、大庭の要請により、三井物産がダグラス社に対しDC―一〇を発注した事実を被告人若狹は認識していたのであり、同被告人の右の答えは、それが大庭の要請によるかどうかの点は別として、三井物産がダグラス社に対しDC―一〇を発注した事実を否定したうえ、先回りして、仮にそういう事実があつたとしても、それは全日空とは関係がないことを強調したものであると認められるから、被告人若狹が、弁護人主張のとおりに質問の趣旨を理解していたとしても偽証にあたることは明らかである。

また、右質問は、被告人若狹の社長就任時のことに限定された認識を尋ねるものであると理解したとする被告人若狹の右弁解は、八七回公判期日においては、同被告人は、時期的なことには何ら触れることなく、ただ弁護人主張の右理由のみしか供述していないこと、被告人若狹の右答え自体からも時期を問題にしていないと認められること等からしても採用することはできない。そもそも、河村委員の右質問は、それに至る質問の内容からみて、政府高官等の外部的圧力によつて大庭のした機種決定を覆したのではないかという疑惑を浮き出させるための観点からする質問であることは明らかであるから、時期には関係なく、要するに右質問は「三井物産がダグラス社にDC―一〇を仮発注した事実を知つているか。」という趣旨の質問であり(右仮発注の意味は、前記「航空機を押さえる」という意味と同じであると解される。)、被告人若狹もそのように理解していたものと考えられる。そして、大庭社長の三井物産に対する判示要請は、法律的性格はともかく、到底全日空とは無関係であるとは言えないのであるから、「全日空はそれには全く無関係であると考えている。」旨の答えもまた偽証というべきである。

三昭和五一年三月一日の衆議院予算委員会における「当時DC―一〇は設計段階であつたので、大庭社長がDC―一〇をオプションするということはあり得るはずもなく、DC―一〇を選定する考えを持つているとは想像もできなかつた。」旨の陳述について

1第七七回国会議録二〇号二五頁によると、被告人若狹は、松永光委員の

(イ) 「これは大庭さんの話なんですけれども、自分はDC―一〇以外に全日空が採用すべきエアバスはないんだ、そのことが自分の頭いつぱいであつた、そこで、社長をやめて後任社長があなたになつたについては、ぜひDC―一〇にしてもらいたいという希望、特にダグラス社との間にオプションをしたということね、このことを引継ぎをした、こう言うんですよ。オプションをしたということをあなたに伝えて、そして後始末を頼むというような趣旨のことをあなたに間違いなく引継ぎをしたんだ、こういうことをはつきり言つておられるのですけれどもね。どうですか。」との質問に対し、「先ほど申し上げましたとおり、……まだ設計段階でございます。そういうものについてオプションをするとかしないとかいうことはあり得るはずもございませんし、また、それについて私たちに対して一言の連絡ということも全くなかつたということだけは明確に申し上げておきたいと思います。」と答え、同議録二六頁によると、同委員の

(ロ) 「週一回のその常務会の席で大庭社長の在任中に、次期採用すべき飛行機は、すなわち新機種はDC―一〇が望ましい、これは安全性その他からいつてこれがすばらしいんだ、こういつたことが常務会で議題になつたことがありましたでしようか。議題にならずとも、話題になつたことがあつたでしようか。」との質問に対し、「そういうことは一回もございません。大庭さん在任中にはまだDC―一〇はでき上がつておりません。設計段階でございますのでそういう話があるということは考えられませんし、現実に私たちはそういうことを聞いたことは一度もございません。」と答え、

同議録二九頁、三〇頁によると、稲葉誠一委員の

(ハ) 「それは大庭さんの話と非常に違うのですよ。後で議事録を正式に調べてやらないといけませんけれども、非常に違うのですね。それから、常務会でいろいろ話が出た。あなたも出席していて、機種選定のことについての話が出た。……だから当然自分の気持ちというものはあなた方もわかつていてくれたはずだ、こう言うのですが、どうなんでしようか。あなたは全くわからなかつたのですか。」との質問に対し、「飛行機ができない状態でそういうような予見というものをお持ちになつているとは想像もできないことでございました。」と答えていることが認められる。

2弁護人は、

(一) 被告人若狹は、松永委員の右(イ)の質問を、「大庭さんが社長をお辞めになつてあなたに引継ぎの時に、是非DC―一〇にして貰いたいという希望、特にダグラス社との間にオプションしたということ、こういうことを大庭さんが言つているのですよ。この点いかがでしようか。」という趣旨に理解したのであり、大庭が社長退任にあたつて、被告人若狹に対して右のような引継ぎをした事実はなかつたのであるから、被告人若狹はその認識どおり右のように証言したのであつて、虚偽の事実を陳述したのではない。また、右証言中、「……まだ設計段階でございます。そういうものについてオプションするとかしないとかいうことはあり得るはずもございません。」との部分は、右のような引継ぎの事実の存在が質問されているのに、これがなかつたことを強調するため、右のように必要のない説明をしたのであつて、右引継ぎの事実の存否が質疑されている場合、その存否の根拠、理由の説明の中に、仮に虚偽の陳述があつたとしても、その陳述部分を本来の質問に対する陳述部分から切り離して偽証としての責任を追及することは極めて不当である旨主張し、被告人若狹も当公判廷において弁護人の前段の主張と同旨の弁解をしている。(若狹(97))。

なるほど、陳述の主たる部分を無視し、陳述全体のごく一部のみを恣意的に取り出して、これを虚偽の陳述であるとするのは不当であるが、右(イ)の答えを導き出した松永委員の質問の趣旨は、「大庭が全日空の社長を辞任すると表明して被告人若狹に引継ぎをした際、大庭の選定すべき大型航空機を是非DC―一〇にして貰いたいという希望、特にダグラス社との間にオプションしたということを大庭が被告人に伝えた。」という事実はなかつたかとういものであるところ(被告人若狭も当公判廷において、「大庭さんはDC―一〇にして貰いたいとの希望を持つておられたか。」との質問であつた旨供述している(若狹(87))。)、右質問の意図するところは、それに至る経過をみると、前同様に大庭が次期国内幹線用に使用すべく決定した航空機を政府高官等の外部的圧力で覆したのではないかとする疑惑を浮き出たせることにあつたことは明白であり、右質疑で重要なのは引継ぎそれ自体の有無にあるのではなく、引継ぎの内容をなすところの大庭のDC―一〇に決めたいとする希望を持つていたことについての被告人若狹の認識の有無にあると考えるのが自然であり、このことは被告人若狹においても十分認識していたと考えられる。そのような状況下で答えた「オプションをするはずもない」旨の陳述部分は、被告人若狭において、大庭がDC―一〇に決めたいという希望を持つていたことについての認識を否定するものであつて、むしろ証言の主たる部分である。そして、被告人若狭が、大庭の要請により三井物産がダグラス社にDC―一〇を発注している事実を認識していたことは既に認定したとおりであつて、そうだとすると、被告人若狭において、大庭がDC―一〇を選定したいとの希望を持つていたことを認識していたことは明らかであるから、右のように、これを否定した同被告人の右陳述部分は、設計段階についての陳述が虚偽であるか否かに拘わらず、右「オプションをすることはあり得ない。」旨の陳述が偽証である以上、その理由づけも含めて偽証というに妨げないというべきである(仮に設計段階であるとしても、オプションしたことを知りつつ設計段階であるからオプションするはずがないと言えば偽証であることは明らかである。)。被告人若狭も前記9・5付調書中において右陳述部分が偽証であることを認めているのである。

(二) 次に、被告人若狭は、松永委員の(ロ)の質問を、文言どおり、「常務会で大庭社長のDC―一〇推奨発言があつたか。」という趣旨に理解し、そのような事実はなかつたので、右のように陳述したのであつて偽証にはならない旨主張し、被告人若狹も当公判廷において同旨の弁解をしている(若狹(92))。

しかし、右質問が、同委員の前記「大庭社長が、全日空が選定すべき航空機をDC―一〇にして貰いたいとする希望を持っている旨を被告人若狹らに引継いだのではないか。」、被告人若狹の前記「そのような大庭社長の希望は知らない。」旨の質疑応答が続いたのちのことであることを考えると、右質問は、大庭の全日空が次期大型機として採用すべき航空機はDC―一〇が良いとする推奨発言が、常務会の席上でなされたかどうかが問題なのではなく、既に大庭が社長在任中に同社が採用すべき次期大型航空機はDC―一〇が望ましいとの考えを有していたことについての被告人若狹の認識を尋ねる趣旨のものであると考えられる。被告人若狹も前記9・5付調書中において、「大庭社長が全日空のためのDC―一〇の製造番号を押さえたなどと明確に言つているので、それが事実に反し信用できないものであると主張する必要があると考え、右のように証言した。」旨供述しているのであつて、結局被告人若狹の右陳述は、「大庭が、全日空が採用すべき次期大型航空機としてDC―一〇が望ましいと考えているとは知らなかつたし、また、大庭がその考えを外部に表わすような行為をしたこともなかつた。」旨を示すものと解されるところ、既に述べたように、被告人若狹は、大庭が三井物産にDC―一〇の確保を要請している事実を知悉していたのであり、そうだとすれば、大庭の全日空の採用すべき次期大型航空機としてDC―一〇が望ましいとの考えを知っていたことは明らかであるから、被告人若狹の右陳述は偽証にあたると言うべきである。被告人若狹も前記9・5付調書において右陳述部分が偽証であることを認めているのである。

(三) 更に、前記(ハ)の質問は、その直前の被告人若狹の「まだ飛行機もできていない状態のときに(大庭社長が)DC―一〇で行くんだということをお決めになるということは夢にも思つておりません。」との陳述を受けたものであるから、右稲葉委員の質問は、「(大庭社長がDC―一〇で行くんだと決めていることを)推察できましたか。」との趣旨であり、したがつて、同被告人としては、前記のように感想を述べるほかはなく、感想の表明が陳述でないこと、したがつて、偽証の問題など起こり得ないことは多言するまでもない旨主張し、被告人若狹は、当公判廷において、「新機種選定準備委員会ができたばかりの状態で、一番優秀なのはこれなんだと予め大庭社長が思つているということは全く知らなかつた。」旨弁解するが(若狹(87))、右質問は、被告人若挾の感想を求めたものではなく、大庭のDC―一〇に決めたいという希望を知つていたのではないかとの趣旨であることは、質問自体から明らかであるから弁護人の右主張は理由がない。また、被告人若狹の右弁解も、既に認定したとおり、同被告人は大庭が三井物産にDC―一〇の確保を要請していることを知悉していたのであるから採用できない。被告人若狹の右陳述が偽証にあたることは明らかである。

四昭和五一年二月一六日の衆議院予算委員会における「全日空がロッキード社から正式な契約によらないで金銭を受領したことは絶対にない。同社から帳簿外の金銭を授受したことは一切ない。」旨の陳述について

弁護人は、「オーストラリア・デモフライトに関する二、〇七二万円の受領の事実を除き、その余の金員の受領については、被告人若狹は報告を受けた事実はなく、それらの金員の存在については国会証言時には知らなかつたのである。仮に、検察官が主張するように、被告人若狹が右各金員の受領事実を知つていたとしても、偽証が成立するためには、国会における各委員の質問が右各金員に関するものであることを被告人若狹において認識していたことが立証されなければならないところ、その立証はなされていない。」旨主張する。

1判示第三ないし第五のとおり、関係被告人らが、ロッキード社との間に正規の契約によらず、同社から各判示のとおりの各金員を受領し、これを全日空の簿外資金としたことは既に認定したとおりであり、被告人若狹が、昭和五一年二月一六日の衆議院予算委員会において、証人として法律により宣誓したうえ、ロッキード社から帳簿外の金銭を受領したことは一切ない旨の証言をしたことは関係証拠によつて明らかである。

すなわち、第七七回国会議録第一四号一三頁によると、被告人若狹は、荒舩委員長の

(イ) 「……ロッキード社から何機買うから一機分幾らというようなことで金が来ているというような風評がありましたが、そういうこととは違いますか。」との質問に対し、「……広告費は、先ほど申しましたように、大体、新しい飛行機が初めて登場する場合にその契約によつて決定されるべきものであつて、一機について幾らというような広告費の協力というものは私はあり得ないだろうと思います。この点は契約を正確に検査してみませんと何とも申し上げられませんけれども、その契約の中に出てくるものは、当初の飛行を実施する以前に、そのときに広告費としてロッキード社から全日空へ繰り入れられるというものは当然あり得るだろうと思います。しかし、その後において一機ごとに幾らというような契約は恐らくないだろうというふうに私は考えております。」と答え、更に、「……あなたは社長さんですから、なかつたのならなかつた、あつたのならあつたと、こうおつしやつていただかないと疑義を持たれるような気がしますが、そこをはつきり御答弁願います。」との質問に対し、「私の申し上げておりますのは、契約書の中に明確に書かれているものは恐らくないと私は思いますが、それ以外のものは全くございませんということを申し上げているわけでございます。」と答え、

同議録二二頁によると、河村委員の

(ロ) 「……コーチャン氏の証言の中で……日本円にして三、〇三四万円……この三、〇〇〇万円口の方についてコーチャン氏の証言は、全日空に対して追加の八機をファーム・アップするためにパブリック・リレーションズ・アローアンスとして払つたものだと思うという証言がございますね。この証言についてはあなたはどう考えておりますか。」との質問に対し、「いま河村先生の御質問は、帳簿外の金銭の授受についての御質問かと思いますけれども、そういうものは一切ございません。……」と答えていることが認められる。

2ところで、本件に関し、被告人若狹は、9・5付調書(一一一丁のもの)中において、次のように供述している。

すなわち、「一億一、〇〇〇万円については、七号機から一四号機まで契約したことに対し一機五万ドル相当の日本円でお礼を受け取ることについて藤原君に担当させたものであり、約二、〇〇〇万円は、ロッキード社のオーストラリア・デモフライトに協力したお礼として、約三、〇〇〇万円は、一五、一六号機の契約促進に対するお礼として澤君に担当させて受け取らせたものであり、これらの件についての詳細は既に申し上げたとおりである。全日空としては、このような簿外の資金を受け取っているということを知られては、全日空がDC―一〇を採用せずL―一〇一一を採用したのは、このような金を受け取つたことを含めて、私が社長になつてから機種決定に不純なものがあつたと騒がれるもとになるだけでなく、この簿外資金の中から国会議員の先生方にお金を差し上げていたので、このような使いみちまで追及されては全日空としても大変困る立場に追いこまれるだけでなく、お金を差し上げた方々にもご迷惑をおかけすることになるので、簿外の資金を受け取つていることを隠さなければならないと思つた。私は全日空が八機のナプションをしたことはないので、それに対する三、〇〇〇万円を貰つたこともないと言えば切り抜けられると考えた。そこで、私が衆議院予算委員会で証言した際に、この方針でロッキード社から簿外の資金を受け取つたことはないと押し通そうと考えた。質問者の中には、広報用経費として一機いくらという約束で金を貰つたことはないかというような質問をされたので、私は今申したとおり簿外の資金を貰つたことはないということを貫くのに好都合でしたが、そのうち質問者の中には、ロッキード社側にある領収証などをもとにいろいろ質問をされたので、私は一切の帳簿外の金銭をロッキード社から貰つたことはないという事実に反する証言をして、これらの質問をやめてもらおうと思つた。」旨供述している。

ところが、被告人若狹は、当公判廷において右自白を覆し、弁護人の右主張に沿う供述をし、なお、各委員の質問は、全日空においてロッキード社から広報用経費として正規の契約によらない帳簿外の金銭の授受をしたかという趣旨に理解したので、そのような事実はないと答えたに過ぎない旨弁解している(若狹(90))。

3しかし、当公判廷において、

(イ) 被告人若狹は、「国会における証言時に、昭和四九年六月ころ、澤雄次から、デモフライトのお礼の金を約二、〇〇〇万円ロッキード社から簿外で受け取り、青木が保管している旨の報告を受けたことは認識していた。」旨(若狹(89))

(ロ) 澤雄次は、「昭和五一年二月初旬ころ、新聞でチャーチ委員会におけるフィンドレー氏のロッキード社から航空機を買つた航空会社等の代表者達に金が支払われているという証言報道を見て、全日空にもそういうお金が来ていることを知つていたので、これは大変なことだと思つた。また、そのころ、ジャパンタイムズにコーチャン証言として、三、〇三四万五、〇〇〇円の領収証について、これは八機の飛行機を全日空に売るためのPR費であるというようなことが書いてあり、これが一五、一六号機に関する一〇万ドルのことかもしれないと思つた。そこで社長にジャパンタイムズの記事を見せて内容を話したと思う。その内容は、うちならオプション機は七機だし、コーチャンは八機と言つているので、何かの間違いかもしれない、また、PR費だと言っているが、PR費ならうちは一号機から六号機までしか取つていないので、その関係がよくわからないと言つた。約三、〇〇〇万円の金はエリオットから二回目に貰つた分だと思うと話したかもしれないし、話さなかつたかもしれないが、検察官の取調の際には話したように感じていたので、この点についても若狹社長に説明したと述べた。」旨(澤(46))

(ハ) 渡辺尚次は、のちに認定するような偽証をしたのは、「簿外資金が入つていたというようなことが判ると、L―一〇一一の選定そのものがいかにも金によつて不公正に行われたなどといろいろ誤解を受け、或いは、簿外資金が入つていると言えば、それが直接贈収賄に関係しているとは思わなかつたが、その資金の使途を追及され、収拾がつかなくなるなどと悩みに悩んだためである。」旨(渡辺(58))

(ニ) 藤原亨一は、「大久保がアメリカへ行く前か後か、そのころと思うが(なお、大久保は、昭和五一年二月五日渡米し、同月一一日帰国している。)、いずれにしても昭和五一年二月中に同人から、全日空にはご迷惑をかけませんという連絡があり、そのことは社長、副社長くらいには報告している。大久保の言う意味は、おそらく裏の金については触れないという意味だろうというぐらいのことは判る。若狹社長の第一回国会証言(昭和五一年二月一六日)の少し前、社長室で、若狹社長、渡辺副社長、私がいたところで、当時まだアメリカからの情報は、コーチャンの米国国会における二回の証言だけしかわかつておらず、事情がわからないので、金の点についても聞かれるだろうが何とも言いようがない、知らないという以外にないというような話がなされた。」旨(藤原(55))、なお被告人若狹も当公判廷において、大久保がコーチャンと会つた結果、今回の問題は全日空には関係がないことである旨だれかから連絡を受けた旨(若狹(90))

それぞれ供述していることが認められる。そして、本件の三回にわたる金員受領の事実は、すべて被告人若狹に報告されていることは既に認定したとおりであるが、デモフライトに関する金員受領の報告を受けた時期と一五、一六号機に関する約三、〇〇〇万円の受領の報告を受けた時期とは一か月余の差であるから、被告人若狹が、国会証言時に前者のみ記憶していて、後者については記憶していないというのはまことに不自然であるのみならず、右各供述によると、右コーチャン証言によつて本件が公にされ全日空内部においても大きな衝撃を受け、被告人若狹の国会証言にあたつての対策等も話し合われたことが窺われるのであるから、国会証言時に被告人若狹においてその記憶がなかつたということは到底措信できないところである。更に、一億一、二〇〇万円の受領の事実についても、他の右二件の場合と時期的にはほぼ同じであり、かつ、その金額を考えれば、かかる大金の受領の事実を記憶していなかつたということもたやすく首肯し難いところである。そして、これらのことと右各金員の受領の報告を受けた時から国会証言時まで二年も経過していないことを合わせ考えると、結局被告人若狹は右各金員の受領の事実を知りながら、国会証言にあたつてはロッキード社からの張簿外の金銭の授受は一切否定する考えであつたものと推認できる。

4本件について、被告人若狹が検察官に供述した調書の内容は前掲のとおりであるが、同被告人は、当公判廷において、自分はそのような事実は述べていないのであるが、検察官の方で勝手に書いたものであるとか、検察官にそういう事実はないと言つたが取り上げて貰えなかつたなどと供述している(若狹(90))。

しかし、右調書の末尾には、調書を読み聞けしたのち、被告人若狹の申出どおりの付加訂正がなされており、また、同被告人が偽証の動機として同調書中で述べていることは、渡辺が当公判廷において供述している偽証の動機ともほゞ内容を同じくしており、右のような事態に直面した全日空の幹部の心情として十分理解できるものであつて、結局右調書の前記引用部分は十分信用できる。そして、証拠能力も肯定すべきものであることは既に述べたとおりである。

以上検討した諸事実に被告人若狹の右調書の供述記載を総合すれば、右各委員の質問は、その質問の意図はともかく、文言上は費目を限定した金銭の授受を尋ねているものと認められないことはないが、これに対する被告人若狹の答えは、弁護人主張のごとき単に広報用経費という費目に限定したロッキード社との帳簿外の金銭の授受を否定する趣旨のものではなく、一般的にロッキード社との帳簿外の金銭の授受を一切否定する趣旨で答えたものであることは明らかであつて、これが被告人若狹の認識に反する陳述であることもまた明らかであるから、弁護人の右主張は採用できない。

五  本件告発の及ぶ範囲

弁護人は、被告人若狹に対する昭和五一年九月三〇日付起訴状記載の公訴事実一の一部は、訴訟条件を具備せず、刑訴法三三八条四号により公訴を棄却せらるべきである旨主張し、その理由として、議院証言法違反につき議院等の告発が起訴条件であることは既に確定された判例法であるところ、右起訴状記載の公訴事実と同被告人に対する衆議院予算委員会(荒舩委員長)の告発状記載の告発事実とを対照するに、右起訴状記載の右公訴事実に掲げられている「全日空がロッキード社からの正式の契約によらないで現金を受領し、これを簿外資金としたことはない。」旨の陳述は、偽証として告発されていないのであるから、右公訴事実は、まさに訴訟条件を欠くものと言わなければならないというのである。

なるほど、右告発状によれば、右簿外資金関係の陳述部分は偽証として告発されていないことが認められ、また、本件について議院等の告発が訴訟条件であることも弁護人所論のとおりであるが(最判昭二四・六・一 刑集三―七―九〇一)、一回の宣誓の下に数個の虚偽の陳述をした場合でも、単一の偽証罪を構成すると解すべきであり、かつ、「告発をまつて受理すべき事件」についての告発の効力は一罪の全部について及ぶのであるから、弁護人の右主張は理由がない。

第七  判示第七の事実について

一  弁護人の主張と当裁判所の判断

弁護人は、被告人渡辺が本件国会証言時に記憶していたことは、二、〇七二万円に関しては、昭和四九年六月末か七月ころ、澤雄次からオーストラリア・デモフライトの関係でエリオットが金員を持参したので青木久賴に預けてあるという趣旨の話を聞かされたということのみで、その金員の種類、正確な額等については記憶がなく、三、〇三四万五、〇〇〇円に関しては、だれからどのような報告を受けたか全く記憶がなかつた旨主張する。

1関係証拠によると、澤らが判示(第四、第五)の日時に、同判示の各金員を受領し、これらを全日空の簿外資金として保管していたこと及び被告人渡辺が判示(第七)各日時に、衆議院ロッキード問題に関する調査特別委員会において、証人として法律により宣誓したうえ、同判示のとおりの各陳述をしたことは明らかである。

2本件に関し、被告人渡辺は、7・26付調書において、二、〇七二万円の件については、「昭和四九年六月二一日から三〇日まで渡米したのであるが、その前に、澤専務から、実は例のデモフライトの関係でロッキード社のエリオットから二、〇〇〇万円余り裏金で貰いました。その金は現金でエリオットから植木君が受け取り、青木君に預つて貰つております。何かご用があるときはおつしやつて下さいと言われた。」旨、三、〇三四万五、〇〇〇円の件については、「一五、一六号機の契約を締結した昭和四九年七月一八日から間もない時期に、澤専務から、この間昭和五一年度用機材のトライスター(L―一〇一一)二機をファーム・アップした関係でそのお礼としてロッキード社から裏金で約三、〇〇〇万円くらいを貰いました。その金はエリオットが植木君のところに持つて来て、現在デモフライトの金と一緒に青木君に預けておりますというような内容の報告を受けた。」旨供述していたが、当公判廷においては、弁護人の右主張に沿う弁解をしている(渡辺(58))。

3しかし、当公判廷において、二、〇七二万円の件に関しては、

(イ) 被告人渡辺は、弁護人から、検察官の質問に対し同被告人が答えたことの要約として、「澤から、デモフライトの関係で、昭和四九年七月ころ、簿外のお金が入つた、その金額ははつきりしないが大体二、〇〇〇万円くらいで青木が保管していると聞いた、このことは青木にも確かめたということになるわけか。」と聞かれてこれを肯定し、更に、弁護人の「こういうことは国会証言時に記憶があつたのか。」との質問に対し、これを肯定していること(渡辺(71))

なお、被告人渡辺は、澤から右報告を受けたのは昭和四九年六月か七月ころ、或いは同年六月末か七月であるとも供述し、青木に右の点を確認したのは、澤から右報告を受けた直ぐあとくらいと思う旨供述している(渡辺(58))。

(ロ) 澤は、若狹社長に報告して間もなく、副社長室で、被告人渡辺に、デモフライトの金を約二、〇〇〇万円簿外で貰つて、青木が保管していると報告した旨供述していること(澤(46))

三、〇三四万五、〇〇〇円の件に関しては、

(ハ) 被告人渡辺は、国会で証言する前である昭和五一年二月初旬ころ、いわゆるチャーチ委員会において、ロッキード社が全日空に対し八機分のL―一〇一一のファーム・アップを促進するため三、〇三四万五、〇〇〇円を渡した旨コーチャンが証言し、それが我が国の新聞等によつて大きく取り上げられた際、右証言中の三、〇三四万円余の金は、L―一〇一一の一五、一六号機の二機のファーム・アップを早めてやつたことは記憶にあつたから、それの関連で裏金が入つたのだろうと思つていた、しかし、コーチャンの右の証言を知つてからも澤らにどういう意味の金なのか確かめたことはない旨供述していること(渡辺(58))

(ニ) 澤は、一五、一六号機に関しての金が入つた当時、被告人渡辺に、一五、一六号機について礼金だと思うが、向こうが一〇万ドルと申しましたか、三、〇〇〇万円と申しましたか、二、八〇〇万円と申しましたか、その点一寸覚えていないが、貰いましたので、青木が保管しておりますからご自由にお使い下さいと報告したと思う旨供述していること(澤(46))

がそれぞれ認められる。そして、右各供述によれば、被告人渡辺は、デモフライトに関する金員のみならず、一五、一六号機に関する三、〇三四万五、〇〇〇円の受領についても被告人澤から報告を受けたことが窺われるところ(もつとも、金額については、いずれも端数の報告はなく、約二、〇〇〇万円、約三、〇〇〇万円として報告を受けていたと認められる。)、被告人渡辺についても右各金員に関し被告人若狹について述べたと同様のこと(第五・四・3)が言えるのであつて、結局被告人渡辺は、右各金員の受領の事実を知りながら、国会証言にあたつては右三、〇三四万五、〇〇〇円の受領の事実についても否定する証言をしたものと推認できる。

4本件について、被告人渡辺が検察官に供述した調書の内容は前掲のとおりであるが、同被告人は、当公判廷において、「三、〇三四万五、〇〇〇円の件については記憶になかつたが、取調検察官から、『五一年七機の内二機二八〇〇』と記載のある当時自分が書いた手帳(昭和五二年押第一、四五五号の二二三)を見せられたり、また、澤が自分にそのように報告をしたと供述している旨告げられたので、そのように認めた。」旨供述している。(渡辺(58))。

しかし、証人石川達紘(取調検察官)の証言によると、右手帳を被告人渡辺に示したのは昭和五一年七月三〇日であつたというのであり、もし、同月二六日にも示されているのであれば、右7・26付調書中にもそれについて説明した供述が記載されるはずであるが、同調書中にはその記載はないこと、澤の当公判廷における供述等によれば、被告人渡辺は、右金員受領の事実を澤から報告を受けたことが窺われることは前述のとおりであるところ、前記のとおり、デモフライトに関する金員受領の事実については報告を受けたことを国会証言時に記憶しているのであるから、その約一か月余ののちに報告を受けた三、〇三四万五、〇〇〇円の受領の事実についての報告のみ国会証言時に記憶していないというのは不自然、不合理であつて、その点からみても被告人渡辺の右弁解は措信し難く、澤の公判廷における供述とも符合する被告人渡辺の右調書の供述記載は十分信用できるものと言うべきである。

なお、弁護人は、右調書の証拠能力についても争つているので付言する。

弁護人は、「右調書は、検察官の強制的取調の結果録取されたものであり、任意的になされたものでない疑いのある自白を録取したものであるから、証拠能力がない。すなわち、被告人渡辺は、連日の長時間にわたる取調と睡眠不足のため、昭和五一年七月一四日ころの夕方の取調時に仮睡状態に陥つてしまつたところ、取調検察官の石川達紘から、いきなり『まことにけしからん、立て。後ろの壁に向つてまつすぐ立て。』と大声で怒鳴りつけられ、取調室の壁に向つて起立させられたうえ、更に語気荒く、『お前は部下に責任を全部なすりつけて、のほほんとしている。副社長といつてもまことに見下げ果てた奴だ。お前みたいな奴は社会的に抹殺してやる。』などと脅迫的、威嚇的な言辞を浴びせられ、直立不動の姿勢を強制され、一〇分くらい立たされたことがあり、今後同検察官の言うことにあまり抵抗すると、本当に社会的に抹殺されてしまうかもしれないとの強い恐怖感にとらわれ、検察官の主張に合わせられる点は合わせて供述すべきだと考えて供述したものであつて、右調書に述べられている被告人渡辺の供述の任意性には大きな疑問がある。」というのであり、同被告人も当公判廷において同旨の供述をしている。(渡辺(71))。

証人石川達紘の証言によると、被告人渡辺が取調室で起立させられた経緯は次のとおりである。すなわち、昭和五一年七月一四日午後四時一五分過ぎころ、石川検事からいわゆる裏金の保管状況等について取調を受けていた被告人渡辺が居眠りをし、いびきをかき始めたため、同検事は同被告人の眠気を覚ますため、大声で「渡辺さん、立ちなさい。」と声をかけ、同検事に背を向けるように立たせ、「取調中に居眠りするとは不謹慎じやないか。これまで私もいろいろな人を調べたけれども、取調中に居眠りをしたような人はいませんでしたよ。部下の人も勾留されていることですからまじめに取調に応じてもらわなければ困ります。」と言つて五分くらいその不謹慎をたしなめたというのである。

右証言を被告人渡辺の公判廷における供述と対比して仔細に検討すると十分措信できるものと認められる。そして、右証言によれば、石川検事のとつた措置は、被告人渡辺の不謹慎さをたしなめ、真摯に取調に応ずるよう説得したものであつたと認められる。たしかに、被告人渡辺が長時間の取調、或いは当時の夏の暑さで或る程度睡眠不足になつていたかもしれないことは考えられないことはないが、その供述の任意性に影響を及ぼすような状況にあつたとは到底認められず、もとより石川検事のとつた右措置をもつて被告人渡辺の供述の任意性を否定する違法、不当な措置と言うことはできない。

以上検討した諸事実に被告人渡辺の右調書の供述記載を総合すれば、被告人渡辺は、判示のとおりの各金員を澤らがロッキード社から受領し、全日空の簿外資金として保管している事実を認識しながら、判示のとおりの動機から国会証言の際これらの事実を否定する証言をしたことが認められ、したがつて、同被告人の右証言は偽証と言わなければならない。

二  公訴権濫用の主張について

弁護人は、判示国会における被告人渡辺の二回の証言のうちには一部記憶に反する証言はあつたが、これはごく僅かにすぎず、また、被告人渡辺は、極度に緊張した全く余裕のない硬直した心理状態にあつて、委員から矢継ぎ早に発せられた質問に対し、十分記憶を喚起することも、答える言葉の選択もできず、自分でも何をしやべつているのかわからないような状態にあつたのであつて、その中で、自分のあいまいな答えにより議場が混乱し、多くの人々に無用の迷惑がかかることになるのではないかと苦慮し、何と答えてよいのかわからなくなり、やむを得ず否定的な答えをする破目に追い込まれてしまつたのであり、そのような事情のもとにおいては、刑罰を科するのはあまりにも酷であり、被告人渡辺に対しては起訴猶予処分が相当であつたのに、これをあえて起訴したことは政治的配慮によるものと考えられるから、本件起訴は公訴権の濫用と言わざるを得ない旨主張する。

しかし、既に認定したように、被告人渡辺に対する本件公訴事実はすべて有罪であると認められるところ、その偽証の動機は判示のとおりであつて、本件の罪質、犯情等を考慮すれば、同被告人の刑責は決して軽視すべきものではなく、かつ、二回にわたる同被告人の国会での陳述を検討しても、同被告人は、委員の質問に対し的確に答えていることが認められるのであつて、これらの事情に鑑みると、記憶にあるままを陳述することは他に種々影響を及ぼすことを慮つた被告人渡辺の苦しい立場も理解できるところであるが、そのことを考慮してもなお本件起訴が公訴権の濫用にあたるということはできない。

よつて、弁護人の右主張は採用しない。

第八  国政調査権行使の適法性について

弁護人は、「被告人若狹及び同渡辺に対する証人喚問の目的は、(1)何らかの立法のための情報収集にあつたものではなく、また、内閣の責任追及を意図するものでもなく、国政調査の名のもとに、検察官の捜査に先行し、検察権の行使を容易ならしめるためのものであり、このことは、司法権が公正に行われることの前提をなすところの検察権の適正な行使を害するものであり、ひいては刑事司法の公正を危うくするものであつて、国政調査権の限界を越えるものである。(2)国会における被告人若狹及び同渡辺に対する国政調査権に基づく質問は、人権の保障を欠く不適正な手続きによつて行われたもので憲法三一条に違反し、かつ、事実上証言を拒絶することが不可能に近い状態のもとにおいて、証人に対し自己が刑事訴追を受ける虞れのある事項につき自白を強要するに等しいものであつて、憲法三八条一項(いわゆる自己負罪拒否の特権)に違反する。」旨主張する。

しかし、国会は、内閣の行政権行使に対して責任を問い得る立場にある(憲法六六条三項)から、行政権の行使全般にわたつて調査権が及ぶところ、本件国政調査の目的は、いわゆるロッキード事件の全容を明らかにして、事件の政治的、社会的責任を明確にし、これによつて過去の運輸行政が適正であつたか否かを明らかにしようとすることにあるものと認められるのであつて、弁護人主張のように、専ら検察権の行使を容易ならしめる目的であつたとは認め難い。また、国政調査権の行使が検察権の行使に先立つて行われ、その結果得られた資料を検察権行使のために利用することは何ら制限を受けるものではなく、本件において、結果として弁護人主張のように検察権の行使を容易ならしめたとしても違法ではなく、したがつて、弁護人の(1)の主張は理由がない。

次に、憲法三一条は、主として刑罰を科する場合の法定手続の保障を規定したものであるが、その他の場合においても国民の権利、自由の制限を行う場合には、その手続が適正でなければならないことは当然であり、その根拠を憲法三一条に求めることは正当と言うべきであるが(その意味において国政調査権に基づく調査手続も憲法三一条の適用があると言うべきである。)、いかなる方法をもつて適正な手続とするかは当該行為の性質、目的、内容等によつて決定せられるべき事柄であるところ、本件調査が、議院の国政に対する監視の権能を行使するうえ必要な調査をすることを目的とし、証人の権利、自由を制限することを直接の目的としていないこと等からみれば、弁護人が弁論において指摘するように、その手続に改善の余地があるとしても、議院証言法四条がいわゆる証言拒絶を規定する民訴法二八〇条及び二八一条の一部を準用していることをもつて、右適正手続の要件を一応満たしていると解されるから(なお、証言拒絶権の告知は準用されていないが、本件手続においては現に告知されていることが認められる。)、弁護人の(2)の主張のうちこの点に関する部分は理由がない。

更に、適法な目的で行なわれる国政調査が証人の訴追、処罰を招来するような事項に及ぶことがあり得ることは、国政調査の性質上当然のことであるが、証人の訴追、処罰を招来するからといつて、これが憲法三八条一項に違反するものでないことは言うまでもない。また、民訴法二八二条の準用により証言拒絶の理由を疎明すべきことが求められるが(議院証言法四条二項)、理由のない証言拒絶によつて国政調査の実行が阻害されることを防止するためには、このような手続をとることは十分理由のあることである。弁護人は、証言の際、その場で弁護人等の補助を受けられなかつたため、実際上疎明を行つて証言を拒絶することは不可能であつたと主張するが、証言の冒頭において、その都度詳細な証言拒絶権の告知を受け、その趣旨を十分理解したうえで証言に臨んでいるものと認められるうえ、被告人若狹及び同渡辺の陳述状況をみても(ビデオテープ九巻、前同押号の二六九ないし二七一)、を極めて冷静に陳述していることは明らかであるから、証言を拒絶することが事実上不可能に近かつたような状況ではなかつたことを窺うに十分であり、弁護人のこの点に関する主張も理由がない。

(量刑の事情)

判示各事実のうち、外為法違反の点は、政治工作資金等に使用する簿外資金を捻出するため、L―一〇一一の購入等の際に、全日空のロッキード社に対する契約上の有利な立場を利用して敢行された総額一億六、〇〇〇万円余の多額に上る犯罪であり、現に判示第四、第五の犯行によつて受領し、被告人青木が保管していた約五、〇〇〇万円のうち二、〇〇〇万円余が政治家への餞別等に費消され、また、判示第三の犯行によつて受領し、被告人藤原が保管していた一億一、二〇〇万円も、同被告人が右以外にも約一億八、〇〇〇万円の簿外資金を得て、これと右一億一、二〇〇万円とを合わせ保管していたため、右のうちどの部分から費消されたか明らかではないが、とにかく、そのうちから五、〇〇〇万円余が同様に費消されているのであつて、右のような実態に鑑みると、本件外為法違反の事実は、取締法規違反であるからといつて決して軽視すべきものではない。また、議院証言法違反の点は、昭和五一年二月初旬、ロッキード社の海外不正献金の実態を究明していた米国上院外交委員会多国籍企業小委員会(いわゆるチャーチ委員会)においてその概要が判明した、いわゆるロッキード事件の全貌を明らかにするための国会の場においてあえて偽証し、国政調査権の適正な行使を妨げたものである。加えて、被告人らは、公判廷において種々弁解をしているが、そのほとんどすべてが認め難いことは既に判断したとおりであるが、それは単なる被告人らの記憶違いの結果であるとは到底思われず、被告人若狹に刑責が及ぶのを防ぎ、或いは自己の罪を免れるため、ことさら虚偽の事実を前提とする弁解に終始したものと認められるのであつて、被告人らの責任はいずれも重いと言わなければならない。

しかしながら、外為法違反の事実に関しては、当然のこととはいえ、その受領金員について、既に費消された右部分を除き、他は昭和五二年三月までにすべて全日空の経理に正式移管計上されており、また、外為法違反の被告人らの個人的利益のために費消された事実も窺われず、議院証言法違反の事実に関しては、事がL―一〇一一の選定経過等に関連し、被告人若狹、同渡辺の個人の問題にとどまらないだけに、事の是非は別として、国民注視の公の場で真実を述べ難い心情にあつたであろうことは理解し得ないわけではないのであつて、これらの点は被告人らに有利な情状として斟酌すべきである。

被告人若狹は、本件外為法違反のすべての事実に関与しているのみならず、議院証言法違反の事実に関しては、質問が問題の核心に触れることを極力回避すべく判示の各事項について偽証しているのであつて、その犯情は最も重く、実刑をもつて臨むことも考えられるところであるが、他方、特に偽証の点に関しては、その主たる動機が全日空の名誉と信用を守ろうとすることにあつたと認められることに加え、同被告人のみ責めるに急なることは均衡を失するに至るのではないかと思われる事情も窺えること等に徴し、特に刑の執行を猶予することとした。被告人渡辺に関しては、被告人若狹の偽証に関して述べた情状がほぼそのままあてはまり、その余の被告人については、当該事実に関与した程度、役割等その他諸般の情状を考慮して、いずれも主文のとおりその刑を量定した。

よつて、主文のとおり判決する。

(新谷一信 谷鐵雄 松本信弘)

別紙 訴訟費用負担表〈省略〉

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